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高校世界史の問題演習

令和6年6月9日

戊戌の変法から辛亥革命までの中国

※新潟大学の入試問題を参考に作られています。(外国人の名前をつなぐ記号は=を使うこと。=の記号や数字のみ半角と全角どちらで入力してもよいが、それ以外は全角のみで入力すること。)

次の文章を読み、問1~問5に答えよ。

日本との戦争に敗北した清国では、変法を主張する   ア   や、彼に師事する梁啓超らの影響を受け、   イ   帝は政治改革に乗り出そうとした。しかし、朝廷内では(a)改革に反対する勢力がクーデターを起こし、皇帝は幽閉された

19世紀末、中国社会は大きく変化しており、そのなかで住民の不安が高まりつつあった。山東省において農民たちは自衛のため、宗教的な色彩をもつ武術集団である(b)義和団を組織し、しだいに勢力を拡大しながら北京へ入城した。これに対しドイツや日本,ロシアなど八カ国は連合軍を結成して北京を占領し、義和団を鎮圧した。一方、義和団を支持して列強に宣戦布告していた清朝は、1901年に講和条約である北京議定書に調印した。これ以降、清朝は、(c)さまざまな改革に取り組んだものの、新たな増税や「辺境」への締め付けは人々の反発を招いた。

1911年10月、湖北省の   ウ   において、軍隊(新軍)の革命派が蜂起すると、南方の各省も清朝からの独立を宣言した(辛亥革命)。さらに革命勢力は、12月に帰国した孫文を   エ   に選出し、中華民国臨時政府の樹立を宣言した。こうした事態の収拾をはかるため、清朝は、北洋軍の(d)袁世凱を革命政府側との交渉にあたらせた。また当時、清朝の領域内では、その枠内から離脱しようとする動きが相継いで見られ、1911年末、北部の   オ   において独立宣言がなされ、1913年にはチベットで   カ   が独立を主張する布告を出した。このように辛亥革命は、清朝の支配体制を揺るがし、その枠組みの再編を迫る出来事であった。

問1 空欄   ア      カ   に適当な語句を入れよ。

問2 下線部(a)に関して、クーデターの名称とその中心人物を記せ。

名称
中心人物

問3 下線部(b)に関して、そのさい義和団のとった排外的行動について50字以内で説明せよ。

問4 下線部(c)に関して、当時清朝の行った改革は「新政」と呼ばれたが、その内容について50字以内で具体的に説明せよ。

問5 下線部(d)に関して、これら袁世凱の交渉の内容とその結果について、以下の語句を用いて50字以内で説明せよ。解答にあたっては次の枠内の語句をすべて用いること。枠内の語句は何度用いてもよい。

共和制   宣統帝   孫文

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令和6年3月10日

中世ヨーロッパの文化

※中央大学の入試問題を参考に作られています。(記号を答える問題はひらがなのみ入力すること。また、外国人の氏名に使われる=の記号のみ半角と全角どちらで入力してもよいが、それ以外はすべて全角のみで入力すること。)

つぎの文章(A~D)は、西ヨーロッパ中世の文化・社会状況について述べたものである。よく読んで、下記の設問に答えなさい。

A 西ヨーロッパ中世における教会の影響力はきわめて大きいものであった。ひとびとの日常生活・(a)美術は教会と密接に関わり、教育・学問もまた教会の強い影響下にあった。
教育・学問の拠点は、(b)修道院や教会付属の学校から、しだいに(c)大学へと移っていったものの、最高の学問は神学であるとされ、また、(d)キリスト教の教義と信仰を理論的に体系化しようという試みもなされていたことから、教育・学問は常にキリスト教と密接な関係にあったといえる。

B 当時の西ヨーロッパにおける哲学・神学的論争の1つとして、普遍論争があげられる。(e)個物を超越しあらゆるものに共通するものについて、これを現実に存在するものと説く考え方と、思考の中にしか存在しえないと説く考え方とが対立したのであった。この論争は神のとらえ方にもかかわるものであったため、激しく展開されたが、いったんは(f)トマス=アクィナスによって集大成された。彼は、( 1 )の哲学を踏まえて神学を再構築することで、両立場を調和しようとしたのであった。
トマス=アクィナスの理論によって、教皇権は理論的支柱を得ることとなったが、他方で、知識人の間では観察と経験を重視する姿勢がすでにあらわれており、くわえて(g)「信仰と理性の分離」を主張する立場がしだいに強く展開されていくようになっていったことから、学問は徐々に教会から独立したものとして位置づけられ探究されるようになっていった。ここに近代科学の萌芽を認めることができる。

C 中世ヨーロッパ世界における文化継承にも目を向けなければならない。西ヨーロッパにおける学問の発展は、他世界の文化が西ヨーロッパに流入したことによって促されたといえるからである。
東のビザンツ世界において継承・保存された文化として、ギリシア・ローマの古典文化があった。ギリシア・ローマの古典文化はイスラーム世界にも吸収された。その後、ギリシア・ローマの古典文化は、イスラーム文化などとの融合により高度な文化が生み出された地中海最大の島である( 2 )島や(h)イベリア半島を経由して、西ヨーロッパにも伝えられ広く浸透していったわけであるが、これが、西ヨーロッパの学問発展を促すこととなったのである。

D 当時の西ヨーロッパの知識人層における共通言語はラテン語であったが、日常生活で話された言葉も地域ごとに存在していた。11・12世紀ごろには、そのような言葉で書かれた文学作品が生まれた。たとえば、カール大帝のイベリア半島遠征を素材に、騎士の武功・友情・戦死などをうたった『( 3 )』,古ゲルマンの英雄叙事詩にもとづく『ニーベルンゲンの歌』,ケルトの伝説的英雄アーサー王を主題にした『アーサー王物語』などである。これらの作品はいずれも騎士道物語であり、ヨーロッパ文学の基礎となった。宮廷や貴族の館で騎士の恋愛を主題とする詩をうたう( 4 )があらわれたのも、この時期であった。

設問1 空欄(1~4)に入るもっとも適切な語を答えなさい。なお、( 1 )には人物名が入る。

1
2
3
4

設問2 下線部(a)について。このころの美術を代表するものとして教会建築があげられる。西ヨーロッパにおける教会建築に関する記述として誤りを含むものを1つ選びなさい。

あ.中世初期には、ハギア=ソフィア聖堂に代表されるような、バシリカ式にドーム(円蓋)を組み合わせたビザンツ様式が模倣された。
い.11世紀ごろになると、ピサ大聖堂に代表されるような、広い窓をステンドグラスで飾ったロマネスク様式があらわれた。
う.教会堂に用いられたステンドグラスには聖書に関係した図像が描かれ、その中にはバラ窓とも呼ばれる円形のものもある。
え.12世紀ごろからは、アミアン大聖堂に代表されるような、外壁や柱に彫刻を施したゴシック様式が広まっていった。
お.ゴシック様式の建築技術によって教会堂の大規模化が可能となり、天上の神をたたえる厚い信仰心と天上へのあこがれがあらわされるようになった。

設問3 下線部(b)について。13世紀にアッシジで創設され、ドミニコ修道会と並んで著名な托鉢修道会の名称を答えなさい。

設問4 下線部(c)について。大学では神学以外の学問の教授もおこなわれたが、下記の大学のうち、法学で名声を博した大学,医学で名声を博した大学をそれぞれ選び、記号で答えなさい。

あ.オクスフォード大学
い.ケンブリッジ大学
う.サレルノ大学
え.パリ大学
お.ボローニャ大学

法学
医学

設問5 下線部(d)について。このような試みはスコラ学においてなされたが、スコラ学の父といわれ、カンタベリ大司教を務めた人物は誰であったか。その人物名を答えなさい。

設問6 下線部(e)について。このような考え方は何と呼ばれているか。

設問7 下線部(f)について。スコラ哲学の総合完成が試みられた、トマス=アクィナスの主著は何か。その著書名を答えなさい。

設問8 下線部(g)について。このような主張をドゥンス=スコトゥスにつづいて展開し、近代合理思想の基礎の構築に寄与した、イギリスのスコラ学者の名前を答えなさい。

設問9 下線部(h)について。12~13世紀にかけて、イベリア半島中部に位置する司教座都市において、イスラームの学術書やギリシアの古典のラテン語への翻訳作業がさかんにおこなわれ、それはのちのルネサンスにも大きな影響を及ぼすこととなったが、この司教座都市はどこか。その都市名を答えなさい。

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令和5年12月3日

ローマ帝国

※青山学院大学の入試問題を参考に作られています。(半角のアルファベット大文字のみ入力すること)

次の①~⑩の文は、それぞれどのローマ皇帝について説明したものか。アウグストゥスならAを、トラヤヌスならBを、コンスタンティヌスならCを、ユスティニアヌスならDを記入しなさい。それ以外の人物について説明している場合にはEを記入しなさい。各問とも記入すべき記号は一つしかない。二つ以上記入した場合は誤りとする。

A:アウグストゥス
B:トラヤヌス
C:コンスタンティヌス
D:ユスティニアヌス
E:それ以外

① 彼は内乱の勝者として帝国の実質的支配者となったが、共和政の伝統、特に元老院を尊重し、プリンケプス(第一の市民)と自称した。そのため彼の統治体制は「プリンキパトゥス」と呼ばれる。

② 軍人皇帝時代の混乱を収めた彼は、帝国を東西に二分し、それぞれに正帝と副帝を置く四分統治(テトラルキア)を始めた。さらに彼は東方的専制君主体制を目ざし、以後の帝政は「ドミナトゥス」と呼ばれる。

③ 彼は大軍を集め、ドナウ川の北まで遠征し、ダキアを征服して属州とした。さらにパルティアへ遠征し、メソポタミアまで軍団を進めた。彼の時代にローマ帝国の領土は最大となった。

④ スペイン出身でギリシア文化を愛した彼が、前任者の養子とされ、帝位を継ぐと、有名な長城を築くなど辺境防衛に努めた。また、広く属州を巡回し、内政整備に尽力している。

⑤ 暗殺されたカエサルの養子に指名されていた彼は、アントニウスと共にカエサル派のリーダーとなり、父を暗殺したブルートゥスらの軍団を東方に追い、これを破った。帝国の支配者となるまでの経歴の第一歩であった。

⑥ 『教会史』の著者として有名な、カエサレアの司教エウセビオスが彼の伝記を書いている。エウセビオスは、皇帝は神の地上における代理人であるとする神寵帝理念を打ち出したのだった。

⑦ 彼の親友アグリッパは軍人として有能であり、アクティウムでは彼の艦隊を指揮している。しかしそればかりでなく、平和の時代には各地にローマ式の建造物を立てている。ローマ市内に残るものではパンテオンが有名である。

⑧ ストア派の哲学者であり、『自省録』を書いたことでも有名な皇帝である。それは、属州で、戦陣で、皇帝としての任務を誠実に遂行する合間に、天幕で書き留めていたものだった。

⑨ ローマ帝政期は、キリスト教が成立し発展した時代であった。この皇帝は、ローマ大火の責任をキリスト教徒に帰し、処刑した。彼は迫害皇帝として有名になってしまう。

⑩ 彼は、異教の神々礼拝を禁止し、キリスト教をローマ帝国の国教とした。宗教上一体化したはずの帝国は、彼の死後、東西に分裂することになる。

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令和5年8月27日

戦後のアメリカ合衆国

※中央大学の入試問題を参考に作られています。(数字は半角のみで、それ以外は全角のみで入力すること)

つぎの年表は、1945年以降のアメリカ合衆国に関連する出来事をまとめたものである。よく読んで、下記の設問に答えなさい。

1945年4月 トルーマン、第33代アメリカ合衆国大統領に就任
    47年3月 トルーマン=ドクトリンが発表され、これにより共産主義勢力に対する「( 1 )」政策が始まる。
    47年6月 国務長官( 2 )がヨーロッパ経済復興援助計画を発表する。
    50年6月 (a)朝鮮戦争が始まる。
1953年1月 アイゼンハウアー、第34代アメリカ合衆国大統領に就任
    53年1月 国務長官ダレスが「( 3 )」政策を提唱し、共産主義勢力に対し、より強硬な外交政策を推し進める。
    54年3月 (b)太平洋のビキニ環礁で水爆実験をおこなう
    59年9月 ソヴィエト連邦共産党の第一書記として( 4 )が初めて訪米し、アイゼンハウアーと会談をおこなう。
1961年1月 ケネディ、第35代アメリカ合衆国大統領に就任
    62年10月 キューバの海上封鎖を宣言する。
    63年8月 アメリカ合衆国は、イギリス・ソヴィエト連邦とともに〔 あ 〕に調印する。なお他の核保有国であるフランスと中国は参加しなかった。
1963年11月 ジョンソン、第36代アメリカ合衆国大統領に就任
    64年8月 トンキン湾事件が起こる。これを理由にアメリカ合衆国は(c)ヴェトナムにおける戦争に本格的に軍事介入することになる。
    68年7月 アメリカ合衆国は、イギリス・ソヴィエト連邦などとともに〔 い 〕に調印する。
1969年1月 ニクソン、第37代アメリカ合衆国大統領に就任
    71年8月 ドルと金の交換の一時停止を発表する。
    72年2月 合衆国大統領として初めて中国を訪問し、( 5 )首相と会談する。
    72年6月 ( 6 )事件発覚。この事件がきっかけとなり、その後ニクソン大統領は辞任する。
    73年6月 アメリカ合衆国は、ソヴィエト連邦とともに〔 う 〕に調印する。
1974年8月 フォード、第38代アメリカ合衆国大統領に就任
    74年9月 東ドイツと国交を樹立する。
1977年1月 カーター、第39代アメリカ合衆国大統領に就任
    79年1月 中国との国交正常化が実現する。
    79年3月 ペンシルヴェニア州の( 7 )島で原子力発電所事故が起こる。
1981年1月 (d)レーガン、第40代アメリカ合衆国大統領に就任
    85年9月 先進5カ国蔵相中央銀行総裁会議において、ドル高の是正と為替レートによる調整の合意がなされる。
    87年12月 アメリカ合衆国は、ソヴィエト連邦とともに〔 え 〕に調印する。この条約によって初めてアメリカとソヴィエト連邦が核兵器の削減に同意した。
1989年1月 G.H.W.ブッシュ、第41代アメリカ合衆国大統領に就任
    89年12月 ソヴィエト連邦の共産党書記長ゴルバチョフとマルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言する。
    91年1月 湾岸戦争が始まる。
1993年1月 クリントン、第42代アメリカ合衆国大統領に就任
    93年9月 イスラエルとパレスチナ解放機構が、ワシントンで、「パレスチナ暫定自治に関する諸原則の宣言」に調印する。
    96年9月 国連総会において、〔 お 〕が採択される。
2001年1月 G.W.ブッシュ、第43代アメリカ合衆国大統領に就任
    01年9月 同時多発テロが発生する。
    01年10月 9月の同時多発テロの首謀者をビン=ラーディンと断定し、イギリス軍とともに( 8 )への空爆を開始する。
    03年3月 イラク攻撃を開始する。
2009年1月 オバマ、第44代アメリカ合衆国大統領に就任

設問1 空欄(1~8)に入るもっとも適切な語句を答えなさい。なお、(2)(4)(5)には人名を入れること。

(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
(8)

設問2 空欄〔あ~お〕にはそれぞれ核兵器に関わる条約ないし協定が入る。その組合せとして正しいものはどれか。1つ選び、記号で答えなさい。

① 〔あ〕戦略兵器削減条約   〔い〕核拡散防止条約   〔う〕部分的核実験停止条約   〔え〕中距離核戦力全廃条約   〔お〕包括的核実験禁止条約
② 〔あ〕核戦争防止協定   〔い〕部分的核実験停止条約   〔う〕包括的核実験禁止条約   〔え〕戦略兵器削減条約   〔お〕核拡散防止条約
③ 〔あ〕核拡散防止条約   〔い〕部分的核実験停止条約   〔う〕包括的核実験禁止条約   〔え〕戦略兵器削減条約   〔お〕中距離核戦力全廃条約
④ 〔あ〕部分的核実験停止条約   〔い〕核拡散防止条約   〔う〕核戦争防止協定   〔え〕中距離核戦力全廃条約   〔お〕包括的核実験禁止条約
⑤ 〔あ〕核拡散防止条約   〔い〕戦略兵器削減条約   〔う〕包括的核実験禁止条約   〔え〕中距離核戦力全廃条約   〔お〕核戦争防止協定

設問3 下線部(a)について。朝鮮戦争に関係する出来事の記述として誤っているものはどれか。1つ選び、記号で答えなさい。

① 第二次世界大戦終了後、朝鮮半島は北緯38度線を境にして、南側は米軍に、北側はソ連軍に分割管理された。
② 南側では、親米派の李承晩を大統領とする大韓民国が成立した。
③ 北側では、金日成を中心として朝鮮民主主義人民共和国が成立した。
④ 南北統一を目指す朝鮮民主主義人民共和国が境界線を越えて侵攻し、朝鮮戦争が始まった。
⑤ 国連安全保障理事会でソヴィエト連邦が拒否権を行使したため、アメリカ合衆国は単独で派兵した。

設問4 下線部(b)について。この水爆実験のさいのある事件が、国際的な原水爆禁止運動の高まりをひきおこした。その事件の名称を答えなさい。

事件

設問5 下線部(c)について。ヴェトナムにおける戦争の記述として正しいものはどれか。1つ選び、記号で答えなさい。

① ケネディ大統領はヴェトナム民主共和国を支援し、ゴ=ディン=ジエム政権を成立させた。
② ジョンソン大統領は北ヴェトナムに対する大規模な爆撃を開始した。
③ ニクソン大統領時代、南ヴェトナム解放民族戦線が結成され、戦局は泥沼化していった。
④ カーター大統領はヴェトナム和平協定に調印し、アメリカ軍を撤退させた。
⑤ アメリカ軍がヴェトナムから撤退した年にヴェトナム社会主義共和国が誕生した。

設問6 下線部(d)について。レーガン大統領時代の政策の記述として正しいものはどれか。1つ選び、記号で答えなさい。

① 「ニューフロンティア」というスローガンのもと軍備を拡大した。
② 「人権外交」のスローガンのもと積極的な外交政策を展開した。
③ 「小さな政府」をめざして、行政改革をおこない、自由競争を推進した。
④ 巨大な貿易黒字を背景に、社会福祉の充実を目指した。
⑤ 「偉大な社会」計画を発表し、経済格差の緩和に努めた。

設問7 1945年以降、民主党から選出された大統領の組合せとして正しいものはどれか。1つ選び、記号で答えなさい。

① アイゼンハウアー,ケネディ,ニクソン,G.H.W.ブッシュ,G.W.ブッシュ,オバマ
② アイゼンハウアー,ニクソン,カーター,G.H.W.ブッシュ,G.W.ブッシュ,オバマ
③ アイゼンハウアー,ジョンソン,フォード,レーガン,クリントン,オバマ
④ トルーマン,ケネディ,ジョンソン,カーター,クリントン,オバマ
⑤ トルーマン,ジョンソン,ニクソン,フォード,レーガン,オバマ

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令和5年6月4日

近代以前の朝鮮史

※早稲田大学の入試問題を参考に作られています。(すべて半角のアルファベット小文字で入力すること)

次の文章を読み、設問X・Yに答えなさい。

朝鮮半島北部では、紀元前4~3世紀頃、朝鮮などいくつかの小国が形成されていた。そのころ中国は戦国時代であったが、現在の北京付近に都を置いた燕は朝鮮半島にも勢力を伸ばし、朝鮮などはこれに服属した。秦による中国統一とその崩壊の後、劉邦が前漢を建国するが、前漢初期の混乱のなかで衛満が前漢から朝鮮に亡命し、朝鮮の実権を奪い、現在の( A )付近に位置する王険城を都に衛氏朝鮮を建国した。この国は前漢の外臣となり、周辺の小国を服属させ朝鮮半島北部を支配した。

紀元前2世紀末、対外積極策をとる前漢の武帝は衛氏朝鮮にも遠征し、紀元前108年、これを滅ぼした。前漢はその故地を中心に①楽浪郡など4つの郡を設置し、朝鮮半島に対する中国王朝の直接支配が始まったが、楽浪郡は漢の政治・文化の東方への伝播の拠点として栄え、②朝鮮半島やその北方の中国東北地方の諸民族の国家形成に大きな影響を与えた。紀元前1世紀に遼寧から吉林にかけての地に建てられた高句麗は、紀元後3世紀初には鴨緑江中流北岸の( B )に都を築いた。そのころ朝鮮半島中部の漢江以南には韓族が住み着いて農耕を営み、馬韓・弁韓・辰韓の三韓に分かれて、80近い数の小国を群立させていた。

3世紀末から4世紀初にかけて起こった八王の乱や永嘉の乱は、楽浪郡を中心とする中国王朝の東方支配にも大きな影響を与えた。313年、高句麗は朝鮮半島を南下し、楽浪・帯方の2郡を攻略してその地を併せ、半島北部も支配した。半島南部では韓族の統一が進み、馬韓では漢山城を都に百済が建国され、また辰韓では( C )を都に新羅が建国された。これら3国が分立した時代を三国時代という。また弁韓の地は政治的統合を果たすことなく小国分立が続いたが、これらは加羅(加耶)諸国と呼ばれた。

5世紀から6世紀にかけて中国は南北両朝が対立する南北朝時代となるが、この時期、朝鮮三国や倭をはじめとする中国周辺の諸勢力は、南北両朝の対立を利用しつつ自己の利益拡大を図った。

隋が589年に陳を滅ぼして中国を統一すると、朝鮮半島の状況が一変する。隋は598年からしばしば高句麗に出兵し、特に煬帝は3度にわたり遠征を強行した。しかしそれを機に各地で反乱が起こり、隋は滅亡に向かう。隋のあとを受けた唐は、644年以後、高句麗攻撃を展開したが、660年になると新羅と連合して百済攻撃を敢行し、これを滅ぼした。日本は百済救援のため出兵したが、( D )で大敗し、日本の勢力は朝鮮半島から一掃された。次いで唐・新羅連合軍は668年に高句麗を滅ぼし、唐は安東都護府を設置して朝鮮,中国東北地方に対する羈縻政策を開始した。しかし③新羅は676年には唐の勢力を朝鮮半島から退けて、朝鮮半島の大部分を統一した。そして安東都護府は遼陽に移転し、朝鮮半島に対する唐の直接的な支配は終わる。

新羅では9世紀頃から王族と貴族の間の争いが激しくなり、各地で反乱が相次いだ。その中から④918年に建国された高麗は、936年には他の勢力を滅ぼして朝鮮半島統一を達成した。高麗は中国の五代の諸王朝や宋,遼と通行したが、13世紀にはモンゴルの侵入を受けてその属国とされ、さらに倭寇の来襲にも苦しんだ。高麗の武将で倭寇討伐に活躍して名をあげた( E )は、1392年に高麗を滅ぼして朝鮮王朝を建国した。朝鮮王朝では、儒教が国家統治の基本理念とされ、また⑤訓民正音という名称の文字も制定された。

設問X 文中の空欄( A )~( E )に入る最も適切な語をa~dの中から一つ選び、その記号を答えなさい。

(A)
a 元山   b 釜山   
c 平壌   d 仁川

(B)
a 国内城   b 開城   
c 漢城   d 大興城

(C)
a 竜泉   b 昇竜   
c 慶州   d 熊津

(D)
a 白村江の戦い   b 赤壁の戦い   
c 靖康の変   d 土木の変

(E)
a 王建   b 李成桂   
c 魏忠賢   d 王重陽

設問Y 文中の下線部①~⑤に関する下記の設問について、最も適切な解答をa~dの中から一つ選び、その記号を答えなさい。

① このとき設置された4つの郡のうち楽浪郡以外の3つの郡の組み合わせはどれか。

a 帯方郡 遼東郡 交趾郡   
b 真番郡 臨屯郡 玄菟郡
c 帯方郡 真番郡 武威郡   
d 遼東郡 玄菟郡 張掖郡

② 紀元前2世紀のこの地域に存在した民族ではないものはどれか。

a 夫余   b 月氏   c 貊族   d 穢族

③ これ以後の新羅は特に統一新羅と呼ばれるが、次の文のなかで統一新羅時代の状況の説明として誤っているものはどれか。

a 唐の冊封を受け、律令や州県制などの唐の制度も取り入れた国造りを進めた。
b 仏教の摂取にも積極的で、仏国寺が大規模に拡充され、また石窟庵と呼ばれる石窟寺院が建造された。
c 「海東の盛国」と呼ばれ、日本とも盛んに通行したが、北方からは契丹の圧力を受けた。
d 骨品制と呼ばれる氏族的な身分制度が社会の基盤のひとつとなっていた。

④ 高麗についての説明として正しいものはどれか。

a 高麗の磁器は宋の磁器の製法に学んだが、なかでも青磁はすぐれた作品が多い。
b 高麗版大蔵経は金属活字印刷で2回刊行されたが、第2回のものは慶尚南道の海印寺に現存している。
c 五代の後周にならって三省六官の中央官制や両班制を導入し、地方には郡県制を実施した。
d 12世紀には武人政権である崔氏が実権を掌握したが、13世紀にモンゴルが侵攻してくると、崔氏はそれと連携して引き続き高麗の政権の一翼を担った。

⑤ 訓民正音に関する説明として、誤っているものはどれか。

a 第4代の世宗が制定した表音文字である。
b 制定された当初は、通常、政府の公文書に使用されることはなかった。
c 第7代の世祖は、王朝の基本法典である『経国大典』をこの文字を用いて編集させた。
d 20世紀初期にハングルという名称が創案され、今日もその名称が使用されている。

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