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この問題でおさえておきたいこと

皇帝が何を成し遂げたかをおさえて、元首政時代や専制君主時代にどのように政治が展開されたか理解しよう!

解答
① A   ② E   ③ B   ④ E
⑤ A   ⑥ C   ⑦ A   ⑧ E
⑨ E   ⑩ E

解説

① 「プリンケプス」という語句をキーワードに、「ポイントのまとめ」にあるとおり、アウグストゥス(オクタウィアヌス)のことを述べていると判断できます。

② 「四分統治(テトラルキア)」という語句をキーワードに、「ポイントのまとめ」にあるとおり、ディオクレティアヌスのことを述べていると判断できます。なので、A~Dのどれにもあてはまりません。

③ ローマ帝国の領土が最大となったときのローマ帝国の皇帝は、「ポイントのまとめ」にあるとおり、トラヤヌスです。

④ 「有名な長城を築く」という語句から、ブリタニアに長城を築いたハドリアヌスだと判断する問題です。少しレベルが高いですが、難関大学で世界史を受験する場合はおさえたい事柄です。かなり細かい知識になりますが、ハドリアヌスは属州の巡回もしました。ちなみに、ハドリアヌスは五賢帝の一人です。

⑤ カエサルの養子となっていたのはアウグストゥス(オクタウィアヌス)です。A~Dの皇帝の中でカエサルの生きた頃に一番近い時代に政治に携わったのがアウグストゥス(オクタウィアヌス)で、彼より以前にはローマ帝国の皇帝は存在していないことを考えあわせると解くことができるでしょう。

⑥ キリスト教を公認したコンスタンティヌスは、「皇帝は神によって選ばれその恩寵を受ける」という理念のもと、帝国をまとめあげようとしました。これを支えたのが、問題文に書かれたエウセビオスの神寵帝理念(皇帝は神の地上における代理人という思想)です。

⑦ アグリッパをキーワードにして解くことはなかなか難しいかもしれませんが、「アクティウム」という語句からアクティウムの海戦を導き出すことができれば、この戦いに勝利したアウグストゥス(オクタウィアヌス)のことを述べていると判断できるでしょう。

⑧ 「自省録」という語句をキーワードに、「ポイントのまとめ」にあるとおり、マルクス=アウレリウス=アントニヌスのことを述べていると判断できます。よって、A~Dのどれにもあてはまりません。

⑨ ローマ大火の責任をキリスト教徒になすりつけて迫害したのは、「ポイントのまとめ」にあるとおりネロです。

⑩ キリスト教をローマ帝国の国教としたのは、「ポイントのまとめ」にあるとおりテオドシウスです。

ポイントのまとめ

・元首政時代のローマ帝国

紀元前27年 アクティウムの海戦で勝利したオクタウィアヌス元老院からアウグストゥス(尊厳者を意味する)の称号を与えられる

オクタウィアヌスは自身をプリンケプス(第一の市民)として共和政や元老院を尊重するが、実質的には自分が権力を握る独裁政治を行う
この政治体制を元首政(プリンキパートゥス)という

ネロ帝による治世
ローマ大火の責任をキリスト教徒におしつけ迫害する

96~180年 五賢帝という5人の皇帝による治世の時代(ローマ帝国の最盛期)
1.ネルウァ
2.トラヤヌス…ローマ帝国の領土が最大に
3.ハドリアヌス
4.アントニヌス=ピウス
5.マルクス=アウレリウス=アントニヌス…哲学者でもあり哲人皇帝と呼ばれ、『自省録』を著す

212年 カラカラ帝が帝国領内の全属州の自由民にローマ市民権を与える
=ローマ帝国は地中海世界全体を支配する世界帝国に

※オクタウィアヌスによる元首政が始まってから約200年間、ローマ帝国の政治体制は安定し、繁栄と平和の時代が続くこととなりました。この時代をパックス=ロマーナ(ローマの平和)といいます。

・3世紀の危機

3世紀になるとゲルマン人やササン朝の侵入が激化するように

帝国内の属州の軍団が次々に皇帝を立てる(軍人皇帝時代
これにより政治が混乱

侵入により軍事力増強の必要性が増し、財政を圧迫→都市へ重税、都市から下層民が流出
征服戦争も終わり、奴隷の供給が止まる

奴隷制にもとづくラティフンディアが行き詰まり、没落した農民や解放奴隷などをコロヌス(小作人)として耕作させるコロナトゥスが一般化

・専制君主政時代のローマ帝国

284年 ディオクレティアヌス帝が即位
軍人皇帝時代の混乱を収拾、皇帝崇拝を強制し専制支配する政治体制である専制君主政(ドミナトゥス)を始める

また、広大な帝国の領土を東西に分け、東西それぞれに正帝と副帝を置いて統治を分担させる四帝分治制(テトラルキア)も始める

コンスタンティヌス帝が即位
ミラノ勅令でキリスト教を公認(ローマ帝国内の統一にキリスト教を利用しようとした)
税収確保のためコロヌスの移動を禁止→身分・職業が固定、市民の自由が奪われる
都をコンスタンティノープルに移す

テオドシウス帝が即位
キリスト教を国教化

ゲルマン人の侵入で帝国内は混乱していた→テオドシウス帝の死後、ローマ帝国は東西に分裂