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この問題でおさえておきたいこと

統一新羅ができるまでの朝鮮史では中国との関係をメインにおさえる!
統一新羅以降では、それにプラスして建国者と首都、おもな制度や文化もおさえよう!

解答
設問X
(A) c   (B) a   (C) c
(D) a   (E) b
設問Y
① b   ② b   ③ c
④ a   ⑤ c

解説

設問X

(A) 衛氏朝鮮の都である王険城は現在の平壌付近にあたります。朝鮮史では、現在の平壌を都・拠点にした国・勢力が多くあります。衛氏朝鮮以外では、前漢の楽浪郡高句麗、唐の安東都護府(これはのちに遼陽へ移る)がそれです。

(B) 高句麗の都は成立当初は丸都城でしたが、それが選択肢にありませんので、別称である国内城を選ぶこととなります。難関レベルの難しい問題ですが、bが高麗、cが李成桂が建てた朝鮮王朝、dが隋の都ですので、消去法で判断していくことで解くことができます。

(C) 「ポイントのまとめ」にあるとおり、新羅の都は慶州です。当時は金城という名前でした。

(D) 「ポイントのまとめ」のとおり、日本は白村江の戦いで敗北しました。百済を復興することで日本は朝鮮半島における日本の優位性を保とうと考えました。しかし、敗北によって日本は朝鮮半島から手を引き、国内の改革に着手するようになります。

(E) 「ポイントのまとめ」にあるとおり、朝鮮王朝を建国したのは李成桂です。

設問Y

① 「ポイントのまとめ」でもふれられていますが、前漢の武帝が設置したのは楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の4つです。

ちなみに、帯方郡は楽浪郡から独立してできた郡、遼東郡は戦国時代の燕が設置した郡で、交趾郡は前漢の武帝が中国南部から北ベトナムに設置した南海九郡の郡、武威郡と張掖郡は武帝が中国西域に設置した河西四郡の郡です。

② 月氏は戦国時代から前漢の頃、モンゴル高原を支配していた遊牧騎馬民族で、これが後に大月氏となりました。このことを知らなかったとしても、前漢の武帝が張騫を大月氏に派遣したという知識を利用して推測すれば正解することも可能かと思われます。

ちなみに、cの貊族は「ポイントのまとめ」にあるとおり、高句麗建国の中心をなした民族で、この民族が紀元前2世紀ごろに中国東北部に建国したのがaの夫余です。dの穢族は大学入試レベルを超える内容となりますので、とくに覚える必要はないでしょう。

③ cは渤海についての記述で統一新羅についての説明ではありません。統一新羅について、aの「唐の制度である律令や州県制を取り入れた」こととbの石窟庵については、難関大学の入試問題レベルではおさえておきたい事柄です。

④ a:高麗青磁についての正しい説明となっています。

b:たしかに「ポイントのまとめ」のとおり、高麗の時代に金属活字による印刷が行われていましたが、高麗版大蔵経は2回とも木版でつくられました。

c:両班は中国の王朝からの影響を受けてできたものではなく、朝鮮独自のものです。

d:モンゴルの侵攻に崔氏は抵抗し、倒されました。その残党が済州島を本拠地として抵抗し続けたのが三別抄の乱です。難関大学の入試問題を受験する場合はおさえておきましょう。

⑤ 訓民正音は、当初は民衆の間で使用されましたが、知識人の間で使用されることはありませんでした。『経国大典』も漢文で書かれ、訓民正音は使われていませんでした。

ポイントのまとめ

衛氏朝鮮
衛満が朝鮮北西部に建国、王険城が都

前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし、朝鮮北部に楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の4郡を設置

朝鮮半島北部では313年に高句麗が楽浪郡を滅ぼして勢力を伸ばす
(高句麗はツングース系の貊族が、丸都城を都に建国)
4世紀後半の広開土王(好太王)のときに隆盛期を迎える

朝鮮半島南部では馬韓辰韓弁韓の三韓にわかれて小国家群が成立

4世紀半ばごろ以降は、高句麗、馬韓に成立した百済、辰韓に成立した新羅の3つの国が朝鮮半島に存在する三国時代となる
(弁韓では加羅(加耶)という小国家連合があったが、やがて百済と新羅の支配下に入った)

唐は新羅と結び、高句麗に攻撃
660年 唐と新羅の連合軍により百済滅亡
663年 百済再建をめざした日本と、唐・新羅の連合軍による戦い(白村江の戦い)で日本敗北

668年 唐と新羅の連合軍により高句麗滅亡

676年 唐の勢力を排除して朝鮮半島の統一国家としての新羅が成立(都:慶州
骨品制という身分制度をしいた
仏教を奨励し、慶州には仏国寺が建てられた

918年 王建が新羅を倒して高麗を建国(都:開城
当初は豪族が政治をおこなっていたが、12世紀後半からは武臣政権となった
13世紀には元の侵略に屈服し、属国となった

高麗の時代には、文化面でも大きな発展をとげた

1392年 倭寇撃退に成功した武将の李成桂が王位に就き、国号を朝鮮とした(都:漢城
科挙を導入し、両班が支配層を形成
豊臣秀吉による朝鮮侵略(壬辰・丁酉の倭乱)では李舜臣の水軍などが活躍し撃退したが、国土は荒廃

李成桂が建国した朝鮮王朝では、次のような文化的功績をあげた