高校世界史の問題演習
令和3年10月31日
ロシア革命
※上智大学の入試問題を参考に作られています。(すべて半角アルファベットの小文字で入力すること)
ロシア革命に関する次の文章(A~E)を読んで、後の問(1,2)に答えなさい。正解は選択肢(a~d)からもっともふさわしいものを1つ選び、正解がない場合はeを記入しなさい。
A 第一次世界大戦の長期化とともにロシアは深刻な食糧不足に陥った。1917年3月、首都( 1 )で、パンと平和を求める民衆による大規模なデモやストライキが起きた。ストライキは軍隊に支持され、兵士や労働者は、ソヴィエトを各地で組織し、革命運動が拡大した。皇帝( 2 )は退位に追い込まれ、ロマノフ王朝は消滅した。
B 帝政崩壊後、自由主義の立憲民主党を中心に、臨時政府が結成され、(12)社会革命党らもこれを支持した。他方で労働者・兵士ソヴィエトも臨時政府に並んで力を持ち続け、ロシア国内は臨時政府とソヴィエトが並存する二重権力の状態にあった。
C 臨時政府は戦争を継続させる政策を採るなか、ボリシェヴィキの指導者である(13)レーニンが亡命先のスイスから帰国し、( 3 )を発表した。ボリシェヴィキの勢力は強まり、1917年11月7日に武装蜂起し、臨時政府を倒し、権力を握った。(14)全ロシア=ソヴィエト会議が開催され、新政権の成立が宣言された。
D レーニンは、1918年1月、( 4 )を武力で閉鎖し、解散させた。ボリシェヴィキは、ロシア( 5 )と改称され、ソヴィエト体制は事実上、ボリシェヴィキの一党独裁となった。また、ソヴィエト政権はドイツとの単独講和に踏み切り、1918年3月、( 6 )条約を締結した。
E 革命後、ソヴィエト政権に反対する反革命運動がロシア各地で起こった。連合国がそれを支持し、軍隊をロシア各地に派遣し、( 7 )が口実となり(15)対ソ干渉戦争が開始された。これに対し、ソヴィエト政府は( 8 )を組織し、革命の反対者などを取り締まる( 9 )を設置した。また、工業を国有化し、農民からは食料を強制的に徴発して都市住民や兵士に配給するなど、( 10 )を実施することによって、国内の統制を図った。しかし、生産が極度に低下したため、生産意欲を刺激し国民経済回復をうながす目的で、( 11 )がレーニンにより導入された。
問1 空欄(1~11)に入るべき語は、それぞれ何か。
(1)
a ペトログラード b キエフ
c モスクワ d ノヴゴロド
(2)
a ニコライ1世 b ニコライ2世
c アレクサンドル2世 d アレクサンドル3世
(3)
a 平和に関する布告 b 四月テーゼ
c 土地に関する布告 d 世界革命論
(4)
a 国民公会 b 帝国議会
c 国民議会 d 改革宴会
(5)
a 共産党 b 社会党
c プロレタリア党 d 民主党
(6)
a ラパロ b サン=ステファノ
c ブレスト=リトフスク d ネルチンスク
(7)
a ペトログラード蜂起 b レニングラード占領
c チェコ兵捕虜救出 d コミンフォルム開設
(8)
a 紅軍 b 白軍
c 鉄騎隊 d 黒旗軍
(9)
a ゲーペーウー b ポグロム
c チェカ d レーテ
(10)
a 修正資本主義政策 b 一国社会主義
c 治安維持法 d 戦時共産主義
(11)
a ソフホーズ b コルホーズ
c 第1次五カ年計画 d 第2次五カ年計画
問2 下線部(12~15)にそれぞれ対応する設問(12~15)に答えなさい。
(12) 社会革命党の前身は何か。
a メンシェヴィキ b ナロードニキ
c エス=エル d カデット
(13) レーニンと対立しメンシェヴィキを指導したのは誰か。
a トロツキー b バクーニン
c ガポン d プレハーノフ
(14) 全ロシア=ソヴィエト会議で採択された政策はどれか。
a 農奴制の廃止 b 土地私有権の廃止
c ミール解体 d 一党独裁
(15) 対ソ干渉戦争において、撤退がもっとも遅れた国はどこか。
a イギリス b フランス
c アメリカ d 日本
令和3年7月21日
イスラーム文化
※上智大学の入試問題を参考に作られています。(すべて半角アルファベットの小文字で入力すること)
イスラーム史上に活躍した人物(ア~キ)に関する次の文章を読んで、問(1~5)に答えなさい。
(ア) (1)チュニス出身の歴史家であり、都市と遊牧民の関係を軸に王朝の盛衰に関する歴史法則を論じた『実例の書』を著した。その序章は『世界史序説』の名で知られる。
(イ) (2)コルドバ生まれの哲学者で、法学、医学、天文学にも通じた。アリストテレスのほとんどの著作に対する注解を施し、それらはヘブライ語、ラテン語に訳されて、中世のユダヤ教哲学、キリスト教哲学に多大な影響を与えた。
(ウ) (3)タンジールに生を受け、メッカ巡礼を手始めに、東ヨーロッパから中国、内陸アフリカまで旅した大旅行家。その著作『都会の新奇さと旅路の異聞に興味をもつ人びとへの贈り物』は、『三大陸周遊記』の通称で知られてきた。
(エ) ホラズム出身を意味する名前を持ち、バグダードでアッバース朝第7代カリフであるマアムーンに仕えた数学者、天文学者。彼が残した著作のラテン語訳は、500年近くにわたってヨーロッパの大学で教えられ、その書名は「代数学」そのものを意味するようになった。
(オ) ブハラ近郊に生まれ、イラン各地の宮廷に医師として仕え、しばしば宰相としても活躍した。主著である『治癒の書』の他、膨大な数の著作を残し、『医学典範』はラテン語訳されて、17世紀ころまでヨーロッパの大学で使用された。
(カ) ホラーサーンの裕福な家庭に生まれ、40代の半ばから民族叙事詩『シャー=ナーメ』の執筆にとりかかった。30年の歳月をかけてこれを完成させ、ガズナ朝のスルタンであるマフムードに献上したが認められず、失意のうちに没したものの、同書は後にペルシア語文学の最高傑作の1つと認められるようになった。
(キ) ホラーサーンのニーシャ―プール出身とされ、セルジューク朝に仕えた数学者、天文学者、暦法家。ジャラリー暦の制定に尽力し、そのかたわら詩作をたしなんだ。代表的詩集『ルバイヤート』は、酒と美女をたたえるなどイスラーム法に反した内容さえも含み、ペルシア文学史上に特異な作品となっている。
問1 人物(ア~キ)の名前を、それぞれの選択肢(a~d)から1つ選びなさい。
(ア)
a ジャーヒズ b イブン=ハルドゥーン
c タバリー d フワーリズミー
(イ)
a ガザーリー b イブン=シーナー
c イブン=ルシュド d フィルドゥシー
(ウ)
a イブン=バットゥータ b イブン=ハズム
c タバリー d イブン=ルシュド
(エ)
a イブン=ハルドゥーン b ジャーヒズ
c フワーリズミー d ラシード=アッディーン
(オ)
a フィルドゥシー b イブン=シーナー
c ウマル=ハイヤーム d フワーリズミー
(カ)
a ミマーリ=シナン b フィルドゥシー
c イブン=ハズム d ラシード=アッディーン
(キ)
a ガザーリー b ニザーム=アルムルク
c ウマル=ハイヤーム d タバリー
問2 下線(1~3)はどこか。地図〈1〉上の選択肢(a~f)から1つ選びなさい。
問3 イスラーム諸学に通じた知識人の総称を、選択肢(a~d)から1つ選びなさい。
a ウラマー b カーディー
c スーフィー d カーリミー
問4 イスラーム世界の学問のうち「固有の学問」として適当でないものを、選択肢(a~d)から1つ選びなさい。
a 文法学 b 法学
c 哲学 d 神学
問5 イスラーム諸学の出発点ともいうべき六信五行のうち、五行として適当でないものを、選択肢(a~d)から1つ選びなさい。
a 信仰告白 b 断食
c 喜捨 d 布教
令和3年4月18日
西洋史上の軍事指導者と権力
※京都大学の入試問題です。(すべて全角のみで入力すること)
次の文章の下線部(1)~(7)について後の問に答えよ。
西洋における君主権力の発生過程を考えると、多くの場合、君主権力が軍事的指導者の地位や権限に由来するものであったことがわかる。国家の存亡や安定がしばしば、対外防衛や征服、膨張のための戦争と密接に結びついていたからである。古代ローマの(1)第2回三頭政治を行ったオクタヴィアヌスは、宿敵アントニウスとクレオパトラを滅ぼし、カエサル暗殺後の内乱を制した軍事的実力により、元老院からアウグストゥスの尊称を与えられ、帝政をひらいた。アウグストゥスは(2)共和政ローマの主要な権限のみならず、軍事力が重要な意味をもつ属州をも管轄下に置くことにより、あらゆる権限を掌握した。ローマ帝国における軍隊と皇帝の密接な関係は、(3)3世紀の軍人皇帝時代には、各地の軍団がその指導者を皇帝に擁立し、半世紀間に26人の皇帝が乱立するという、混乱した事態をももたらした。
ゲルマン民族移動期に部族を率いた軍事的指導者の権限が、定住後に君主的権力へと発展することは、とりわけ長距離の移動を行った東・西ゴート族やヴァンダル族の場合に明らかである。このことは、(4)長距離の移動,植民,征服によって各地域に国家を建設したノルマン人の指導者についてもあてはまる。しかしそのような軍事行動をともなう長距離移動を行わなかった(5)フランク族の王たちも、戦士集団を率いて征服や略奪を行う軍隊の長であり続けた。また962年にローマ教皇により皇帝戴冠を受けたドイツ(東フランク)王国のオットー1世は、(6)当時ヨーロッパ中部に侵入をくり返していた非キリスト教民族を955年にドイツ南部のレヒフェルトで破った。このときオットーは兵士たちから「皇帝」との歓呼を受けたと伝えられるが、ここにも輝かしい戦勝をあげた軍隊指揮者が皇帝として讃えられる習慣がみられる。
このように軍功が政治的指導者や独裁者を生み出すという事例は、近代のナポレオン=ボナパルトや(7)20世紀の幾人かの政治家にも見出され、決して古代や中世に限られる現象ではない。
問
(1) オクタヴィアヌス,アントニウスとともに第2回三頭政治を行った人物の名を記せ。
(2) 共和政ローマの国政全般におよぶ最高の公職の名称を記せ。
(3) 3世紀には帝国の社会経済的基盤も変化する。農業・土地制度における変化を30~40字程度で述べよ。
(4)(ア) 9世紀にノヴゴロド国を建設したと言われるノルマン人の指導者の名を記せ。
(イ) 10世紀初めに北フランスにノルマンディー公国を建設したノルマン人の指導者の名を記せ。
(5) フランク王クローヴィスは軍事的征服以外にも、以後のフランク王権にとって重要な意味を持つ選択を行った。それは何か。
(6) この民族の名称を記せ。
(7) 第一次世界大戦中の軍功により国民的英雄となり、ワイマール(ヴァイマル)共和国の大統領になった人物の名を記せ。
令和2年12月30日
清朝の動揺
※関西学院大学の入試問題を参考に作られています。(すべて半角アルファベットの小文字のみで入力すること)
次の文中の に最も適当な語を語群から選び、また下線部に関する問いに答え、最も適当な記号1つを選びなさい。
19世紀中頃以降、中国は列強の進出にさらされた。その先鞭をつけたのは①イギリスである。自国の利益をはかる三角貿易の一角に中国を組み込むために、中国市場へのアヘンの供給はイギリスにとって不可欠の手段だった。アヘンは中国に、健康上の被害や社会の腐敗だけでなく、銀の大量流出による財政危機をもたらしたが、度重なる清朝の禁令にもかかわらず、その密貿易が止むことはなかった。このような状況のもと、 イ が広州で密輸入されたアヘンを廃棄したことから、アヘン戦争が勃発した。清朝は戦闘のなかで軍事力の格差を見せつけられ、戦後には②南京条約および虎門寨追加条約によって圧倒的に不利な外交通商関係を強いられた。イギリスは中国を強制的に世界市場に引き入れ、中国での権益拡大のきっかけを得たのである。
これ以後、③太平天国の乱などの④社会不安にも乗じて、列強は中国への進出に拍車をかけた。その手段は戦争と、巨額の賠償金をともなう不平等条約の締結である。アロー号事件を発端として、イギリスはフランスとの共同出兵により天津と北京を占領し、清朝に⑤北京条約を認めさせた。⑥ロシアも清朝との新たな国境条約によって領土拡大をはかった。フランスは清仏戦争後の ロ によって、清朝にベトナムの保護国化と中国南部数省でのフランスの特権を認めさせた。
[語群]
イ
a.左宗棠 b.梁啓超
c.康有為 d.林則徐
ロ
a.黄埔条約 b.ユエ条約
c.天津条約 d.サイゴン条約
[問い]
① イギリスの外交官で、乾隆帝に謁見して貿易の拡大を求めたのはだれか。
a.マカートニー b.ウォード
c.アマースト d.ゴードン
② 南京条約および虎門寨追加条約に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.清は関税自主権を失った。
b.イギリスに片務的最恵国待遇を認めた。
c.イギリスに香港島を割譲した。
d.マカオなどの5港を開港した。
③ 太平天国の乱に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.洪秀全が組織した上帝会が中心となって挙兵した。
b.男女の別なく均等に土地を配分する天朝田畝制度が提唱された。
c.太平天国軍は南京を攻略して天京と改称し、首都とした。
d.曾国藩の指揮する常勝軍が、太平天国軍の平定に活躍した。
④ 清代中期以降の社会不安に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.張陵の興した宗教結社の太平道が反乱を起こした。
b.イスラーム教徒やミャオ族が反乱を起こした。
c.佃戸が小作料の支払いを拒否する抗租運動が恒常化していた。
d.土地所有者が土地税の減免を求める抗糧運動が活発になった。
⑤ 北京条約に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.天津が開港場に追加された。
b.フランスに広州湾の租借を認めた。
c.イギリスに九竜半島南部を割譲した。
d.キリスト教布教の自由を確認した。
⑥ ロシアが沿海州を領土とした条約はどれか。
a.アイグン条約 b.キャフタ条約
c.北京条約 d.イリ条約
令和2年9月20日
宗教改革
※関西学院大学の入試問題を参考に作られています。(すべて半角アルファベットの小文字のみで入力すること)
次の文中の に最も適当な語を語群から選び、また下線部に関する問いに答え、最も適当な記号1つを選びなさい。
16世紀に起こった宗教改革は、宗教的にも政治的にも当時のヨーロッパに大きな転換をもたらした。
1517年、ドイツのヴィッテンベルク大学教授であったマルティン=ルターは、「九十五ヵ条の論題」の中で、教皇 イ が行う贖宥状の販売政策を批判した。ローマ教皇や①カトリック教会の権威を否定するルターの思想は、当時普及しつつあった印刷術によって急速に人々の間に広まった。
神聖ローマ皇帝②カール5世は、教皇から破門されたルターを召喚し、考えを改めさせようと試みたが失敗した。ルターの改革運動に触発された農民たちの反乱は、③ドイツ農民戦争へと発展したが、領主たちによって鎮圧された。その後、カール5世がルター派への弾圧を始めると、ルターを支持する諸侯や都市は ロ を結んで対抗したが、1555年には④アウクスブルクの宗教和議が結ばれた。
スイスのジュネーヴで改革運動を行ったカルヴァンは「予定説」をとなえ、福音主義を理論化した著作 ハ を公刊した。イギリスでは国王ヘンリ8世が離婚問題でローマ教皇と対立し、カトリック教会から離れて⑤イギリス国教会を成立させた。フランスでは16世紀後半に、宗教戦争であるユグノー戦争が勃発することになった。
[語群]
イ
a.レオ10世 b.ウルバヌス2世
c.クレメンス5世 d.ボニファティウス8世
ロ
a.ユトレヒト同盟 b.ライン同盟
c.シュマルカルデン同盟 d.カルマル同盟
ハ
a.『キリスト者の自由』 b.『神学大全』
c.『神の国』 d.『キリスト教綱要』
[問い]
① 16世紀のカトリック教会に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.イグナティウス=ロヨラたちがイエズス会を設立した。
b.トリエント公会議で長老制を公認した。
c.禁書目録と宗教裁判所による思想統制を進めた。
d.イタリア人の宣教師であるマテオ=リッチは中国で布教を行った。
② カール5世に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.同時代のフランス王アンリ4世と対立関係にあった。
b.カルロス1世としてスペイン国王も兼ねていた。
c.皇帝選挙の際、フッガー家から財政支援を受けた。
d.ヴォルムス帝国議会を開いた。
③ ドイツ農民戦争に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.農奴制・領主制の廃止を求めて起こった。
b.農民側が作成した「十二ヵ条要求」を領主側は拒否した。
c.農民の指導者となったのはツヴィングリであった。
d.ルターは、反乱の徹底弾圧を呼びかけるようになった。
④ アウクスブルクの宗教和議に関する記述として、誤りを含むものはどれか。
a.アウクスブルクのあるバイエルンの領邦議会で発布された。
b.諸侯には、カトリック派かルター派を選択する自由が認められた。
c.ルター派の領邦では、領邦教会制が導入されることになった。
d.個人の信仰の自由は認められなかった。
⑤ イギリス国教会に関する出来事を年代順に並べたものはどれか。
a.統一法の制定→エドワード6世即位→首長法の制定
b.首長法の制定→統一法の制定→エドワード6世即位
c.統一法の制定→首長法の制定→エドワード6世即位
d.首長法の制定→エドワード6世即位→統一法の制定