この問題でおさえておきたいこと
清朝が列強各国と結んだ条約とその内容が最重要事項!
太平天国の乱も清朝の弱体化・列強からの圧力との関連でおさえる!
解答
イ …d ロ …c
① a ② d ③ d
④ a ⑤ b ⑥ c
解説
イ 「ポイントのまとめ」を参照してください
ロ 清仏戦争後の講和条約として結ばれた条約は天津条約です。
天津条約には3つあり、(1)アロー戦争中に英仏などと結んだもの、(2)甲申政変後の講和条約として1885年に日本と結んだもの、(3)清仏戦争後の講和条約として1885年にフランスと結んだもの、があります。この問題で出題されたのは(3)の条約です。
① 「ポイントのまとめ」にあるとおり、乾隆帝に謁見したのはマカートニーです。ちなみに、アマーストは三跪九叩頭の礼を拒否して皇帝に謁見できませんでしたが、謁見しようとしていた皇帝は嘉慶帝です。
② 南京条約では上海・寧波・福州・厦門・広州の5港の開港が決められましたが、マカオは含まれていませんから、dが誤りです。ちなみに、a・bは虎門寨追加条約、cは南京条約の内容です。
③ 曾国藩が指揮したのは湘軍です。常勝軍はウォードやゴードンなど外国人です。
④ 太平道が引き起こした反乱として有名なものに、後漢末の黄巾の乱などがあります。ちなみに、太平道を創設したのは張陵ではなく張角です。
⑤ フランスに広州湾の租借を認めたのは、日清戦争後に清の弱体化が明るみに出た後のことでしたので、北京条約よりもっと後のことです。
⑥ アロー戦争の講和の仲裁をした見返りとして、ロシアは清と北京条約を結び、それにより、ロシアは沿海州を領土にしました。
ポイントのまとめ
・アヘン戦争が起こるまでの背景
イギリスでは国内の茶の需要が増えていたが、イギリスの綿製品輸出はふるわず
=対清ではイギリスの輸入超過、銀がイギリスから清に流出
↓
イギリスが自由貿易を清に求めるも失敗
- マカートニーが乾隆帝に謁見し、自由貿易を要求したが、乾隆帝は拒否
- アマーストが清の皇帝を訪れるも、皇帝謁見のときに求められる三跪九叩頭の礼を拒否したため帰国
↓
イギリス、インド、清の三角貿易が確立
- 清からイギリスへ茶が輸出され、その対価としてイギリスから清に銀がわたる
(これまでと同じ取引) - インドからイギリスに綿花がわたり、それを使った綿製品をイギリスからインドへ輸出
(これまでと同じ取引) - インドから清へアヘンを密貿易で送り、清からその対価として銀を受け取る
(インドはイギリスの植民地なので、結局イギリスの利益に)
・アヘン戦争
三角貿易により清で銀が国外流出、財政難に
アヘン吸引の広がりが深刻な社会問題に
↓
林則徐がアヘン密貿易を取り締まり
↓
1840年 イギリスが反発し、軍隊を派遣、砲撃開始
=アヘン戦争が始まる
↓
1842年 清が敗北、南京条約を締結
主な内容:
- 香港島の割譲
- 上海・寧波・福州・厦門・広州の5港の開港
- 公行の廃止(=特許商人による独占が解消)
- 賠償金の支払い
1843年 イギリスと五港通商章程・虎門寨追加条約を締結(中国にとっての不平等条約)
主な内容:
- 領事裁判権(治外法権)
- 関税自主権の喪失
- 最恵国待遇
1844年 アメリカと望厦条約、フランスと黄埔条約を締結
(内容は北京条約とほぼ同じもの)
・アロー戦争
イギリス船籍のアロー号で中国人乗組員が海賊容疑で逮捕
↓
これを口実にイギリスがフランスに呼びかけて共同出兵
1856年 アロー戦争が始まる
↓
1858年 天津条約を締結
主な内容:
- 外国公使の北京駐在
- 開港場の増加
- キリスト教布教の自由
- 外国人の旅行自由化
↓
清が天津条約に反対、戦争が再開
英仏軍は円明園という清の離宮を破壊
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1860年 北京条約を締結
主な内容:
- 開港場に天津を追加
- 外国人の内地旅行の自由
- 九竜半島南部をイギリスに割譲
- 賠償金の増額
・太平天国の乱
アヘン戦争後、アヘン輸入量が増加、高額な賠償金の支払い
→銀の流出による国内の銀高騰や重税により、民衆が生活苦に
↓
清の統治に対する反発が広がる
→結社設立の増加、結社による反乱が多発
↓
洪秀全がキリスト教系の結社である上帝会(拝上帝会)を結成
1851年 金田村で挙兵し、太平天国という独自の国家を建設(=太平天国の乱)
太平天国の統治:
- 滅満興漢(満州人の王朝を滅ぼし、漢人による国家を建国する)をスローガンにかかげる
- 辮髪の拒否
- 南京を占領し、天京に改称
- 天朝田畝制度(男女関係なく土地を均等に分配)
- アヘンの禁止、纏足の禁止などの旧弊廃止
↓
清からの反撃と外国からの干渉で滅亡
太平天国を滅ぼした軍:
- 漢民族の義勇軍(郷勇)
曾国藩が率いる湘軍、李鴻章が率いる淮軍など - アメリカ人ウォードやイギリス人ゴードンが指揮する常勝軍
↓
同治の中興とよばれる安定期に
曾国藩や李鴻章など漢人官僚を中心に西洋の文化や軍事技術を積極的に取り入れる洋務運動を展開
(中国の伝統的な道徳倫理を根本としながら、西洋技術を導入する中体西用の思想がベース)