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高校日本史の問題演習

室町幕府の組織

※東京学芸大学の入試問題です。(答えはすべて全角で入力すること)

次の鎌倉幕府と室町幕府とに関する文章を読んで、以下の問いに答えよ。

A
鎌倉幕府の政治機構は、治承・寿永の乱の過程で幕府権力が拡大するとともに整備された。頼朝は1180(治承4)年、関東の武士団を掌握すると、彼らを御家人として編成するため侍所を設置し、和田義盛を別当に任じた。1184年には一般政務を担当する公文所と、裁判業務をつかさどる問注所を設けた。そしてそれぞれの長官には京都から来た実務貴族を任命した。また、1185年(文治元年)には国ごとに守護と荘園や国衙領ごとに地頭を設置する権限を認められ、全国支配の大きな足がかりとなった。

B
室町幕府では、将軍を補佐しながら、政治を統括する職務として   ①   がおかれた。この職務には足利一門であるa三氏から選ばれたので三   ①   とよばれた。このもとには    ②      ③    ・問注所が設置された。特に   ②   は重要な職務で、その長官は所司とよばれ、足利一門の一色氏などb四家から選出されたので、   ④   といった。   ③   は幕府の財政事務を担当し、その長官は執事とよばれた。また、鎌倉幕府にならって全国には守護と地頭がおかれた。室町幕府の地方機関として有名なのが関東を中心とした10ヵ国を管轄する   ⑤   で、その長官を   ⑥   、それを補佐する職務を   ⑦   といった。しかし、この機関は後に独立的性格を強め、たびたび幕府と対立した。

問1 空欄①~⑦の中に入る適当な語句を答えよ。

問2 下線部aの三氏の名を答えよ。(「~家」「~氏」などと入力せずに名字だけを入力すること)

問3 下線部bの四家のうち、一色氏以外の三家の名を答えよ。(「~家」「~氏」などと入力せずに名字だけを入力すること)

問4 初代の   ⑥   をつとめた人物の氏名を答えよ。

問5 A・Bの文章を参考にして、鎌倉幕府と室町幕府の支配体制の相違点を簡潔に説明せよ。

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日本の議会政治

※早稲田大学の入試問題です。

次の文を読み、下記の問いA,Bに答えよ。

日本の議会政治は、2010年に120年を迎えた。1890年、議会を成立させるための(1)第1回の衆議院総選挙が行なわれた。投票率は90%を超え、立憲自由党、立憲改進党などの民党が過半数を占める選挙結果となった。議会の権限は、予算査定権の行使、政府提出法案の議決と協賛など限られていたが、アジア初の立憲国家の議会として歩みを開始した。その後、議員の定数は徐々に拡大し、大正期の2度にわたる護憲運動を経て、(2)男子普通選挙が導入された。帝国議会は、第2次大戦後の1946年まで続いた。したがって、大戦直後の第22回衆議院総選挙は、帝国議会議員を選ぶ選挙で、全国53選挙区、4人から10人を選ぶ選挙区では2名を、11人以上を選ぶ選挙区では3名を記入するものであった。小党乱立の選挙となり、39人の女性議員が誕生した。その帝国議会も、1947年3月31日に幕を閉じた。

(3)1947年4月に行われた第23回衆議院総選挙で制度が改められ、選挙区の定数が3から5の中選挙区制になり、戦後の選挙制度の原型となった。1950年には、選挙関係の法令がまとめられ公職選挙法が誕生した。1950年代には、政党の統一と合同が進み、自由民主党を与党、日本社会党を野党とする体制が生じ、自由民主党の長期支配が続いた。60年代以降、(4)自由民主党は、国土計画による地域開発、産業の振興など、経済政策を中心に政治を展開し、高度経済成長をもたらした。その間、議会では、多党化が徐々に進行し、自由民主党も日本社会党も、選挙では得票率を漸減させた。両党の集票力は80年代になっても低下し、さらに、政権党をめぐる「政治とカネ」の問題、バブル経済崩壊後の平成不況などが、いっそう政権を不安定なものにした。

1990年代になると、自由民主党は政治改革をめぐる党内対立で分裂、1993年の総選挙で政権を去った。(B)新たに誕生した内閣以後、二つの連立政権が続いた。1996年になると、自由民主党中心の内閣が誕生し、同党は本格的に政権に復帰した。しかし、いずれの政党も単独で内閣を作ることが難しく、日本政治は連立政権によって行われる時代となった。21世紀になってもその状況は続き、2009年の総選挙で、自由民主党は再び政権を失い、民主党を中心とする内閣が誕生した。

A 下記の問い1~4の答えをそれぞれ(ア)~(オ)から選べ。(答えは全角カタカナのみ入力すること)

1.下線部(1)の総選挙の有権者と投票法で正しいものはどれか。

(ア) 25歳以上男子・直接国税3円以上を納め、記名投票
(イ) 25歳以上男子・直接国税10円以上を納め、記名投票
(ウ) 25歳以上男子・直接国税15円以上を納め、記名投票
(エ) 25歳以上男子・直接国税3円以上を納め、秘密投票
(オ) 25歳以上男子・直接国税10円以上を納め、秘密投票

2.下線部(2)の時の内閣首班は誰か。

(ア) 原敬   (イ) 加藤友三郎   (ウ) 清浦奎吾
   (エ) 加藤高明   (オ) 若槻礼次郎

3.下線部(3)の総選挙で連立政権が誕生した。連立政権の政策協定に加わり合意したが、政権に参加しないで、その後政策協定も破棄して野党になった政党はどれか。

(ア) 自由党   (イ) 民主党   (ウ) 日本社会党
   (エ) 国民協同党   (オ) 共産党

4.下線部(4)で、自由民主党の内閣とその内閣の下で行われた政策の組み合わせで、間違っているものはどれか。

(ア) 池田勇人内閣・全国総合開発計画
   (イ) 佐藤栄作内閣・新全国総合開発計画
(ウ) 田中角栄内閣・国土利用計画法
   (エ) 福田赳夫内閣・新産業都市建設促進法
(オ) 大平正芳内閣・新経済社会7ヵ年計画

B 下線部(B)の新たに誕生した内閣と、その後の二つの内閣をめぐる政治状況を、下記の語群から適切なものを用いて、120字以内にまとめて記せ。その際に、例に示されるように、首相の所属政党は必ず明記しなさい。

(語群)
橋本龍太郎   羽田孜
   村山富市   細川護熙
   土井たか子
自公連立   自社連立
   3党連立   非自民8党派
政治改革関連4法案   少数与党内閣
   情報公開法   国旗・国歌法

(例)
「〇〇党の××を首班とする内閣は…。次に△△党の□□が、…。」

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桃山文化

※(  )内の年度のセンター試験の問題を参考に作られています。(答えは半角数字で入力すること)

問1 空欄( ア )( イ )に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
(2012(平成24))


拓也:お城の中もいろいろ見てまわったよ。複雑なくるわや高層の( ア )をもつ、城郭建築がよく理解できたな。

美咲:うちの近所にも、戦国時代に地元の領主が造ったお城があったのよ。

拓也:へえ、戦国時代のお城って大名だけが造るものだと思っていた。

美咲:ここのお城は石垣がなくて、堀や( イ )のような防御施設に囲まれていたのね。あのあたりに、今でも城ノ内、堀ノ内という地名があるでしょう。廃城になってしまったけれど、ここにお城があったということが、地名からわかるのよ。

(※これより後の会話部分は省略します)

① ア 天守閣   イ 墳丘
② ア 天守閣   イ 土塁
③ ア 堂塔   イ 墳丘
④ ア 堂塔   イ 土塁

問2 次の写真a~dについて、南蛮貿易と関係するものの組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
(2009(平成21))


高校 日本史 問題演習 桃山文化の背景のひとつである南蛮貿易と関係する写真を含んだ選択肢

① a・c   ② a・d   ③ b・c   ④ b・d

問3 桃山文化について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
(2018(平成30))


① 三味線を伴奏に人形を操る人形浄瑠璃が始まった。
② 城郭内部の障壁画などに濃絵の手法が用いられた。
③ 小歌に節づけをした隆達節が庶民の人気を博した。
④ 簡素さよりも豪華さをたっとぶ侘茶が大成された。

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初期荘園と国司

※(  )内の年度のセンター試験の問題を参考に作られています。(答えは半角数字で入力すること)

問1 国司制度とその変容に関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の①~④のうちから一つ選べ。
(2014(平成26))


a 国司は、中央から諸国に派遣され、国府を拠点として統治にあたった。
b 国司は、任地における土木工事や雑用に奉仕させるために、庸を徴収した。
c 平安時代には、在京したまま任国に下向しない国司のことを在庁官人とよんだ。
d 平安時代には、在京の国司は目代を任国に派遣し、政務を担当させるようになった。

① a・c   ② a・d
③ b・c   ④ b・d

問2 10世紀以後の国家による地方支配に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
(2009(平成21))


① 10世紀初めを最後に、全国的な班田収授は命じられなくなった。
② 耕地を名という単位に編成し、有力農民に耕作を請け負わせた。
③ 国家の財源を確保するため、初期荘園の開発を奨励した。
④ 国司に一定額の租税の納入を請け負わせ、地方支配を一任した。

問3 平安時代の地方社会における田地の実態に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
(2019(平成31))


① 財政が悪化した朝廷は、公営田や官田(元慶官田)を設置して、財源確保をはかった。
② 班田収授を励行させるため、班田の期間を12年ごとに改めたが、班田の実施は困難になっていった。
③ 開発領主たちの中には、国司の干渉から逃れるため、所領を中央の貴族や寺社に寄進するものがあった。
④ 官物や臨時雑役などの税が、土地を対象に課されるようになったことで、戸籍にもとづく支配が強化された。

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第一次世界大戦と日本

※明治大学の入試問題を参考に作られています。(答えはすべて半角アルファベットの大文字で入力すること)

次の文章を読み、以下の設問に答えなさい。

明治憲法下の議会政治は大正デモクラシーを経て発展し、政党政治と男子普通選挙が実現した。大正期に入って早々に第一次世界大戦が起きた。日本は参戦し中国大陸における権益獲得に乗り出したことで、日中関係ばかりか日米関係も悪化していった。

大正デモクラシーは1913(大正2)年の「大正政変」と第一次護憲運動で始まった。西園寺公望内閣は、二個師団増設問題で陸軍大臣が単独で天皇に辞表を提出したので、総辞職を余儀なくされた。辞職の原因となった軍部大臣現役武官制は山県有朋内閣によって政党勢力を抑えるため1900年に法制化されたものだった。西園寺に代わり内大臣兼侍従長の桂太郎が組閣した時、「閥族打破・憲政擁護」を求める第一次護憲運動は全国に広がっていった。その先頭に立ったのが立憲政友会の尾崎行雄と立憲国民党の犬養毅であった。桂首相は議会と世論の反発によって二ヵ月足らずで辞職を余儀なくされた。「大正政変」といわれるのがそれである。その後、組閣した山本権兵衛首相に対して尾崎行雄は「内閣の政綱に関する質問主意書」を提出して政党内閣の実現を訴えた。山本内閣はこれら憲政擁護派の要求を入れて(ア)さまざまな改革を実行した。しかし、山本首相は   1   の責任をとって総辞職し、本格的な政党政治はその実現が遅れることになった。

第一次世界大戦は山本内閣の後に組閣した大隈重信内閣の時に起きた。日本は日英同盟を根拠に参戦を決定しドイツに宣戦、山東半島に出兵し   2   を占領、さらに中国に(イ)二十一ヵ条の要求を認めさせた。中国各地で日貨排斥運動と反日運動が起き激しさを増していった。元老の要求で大隈が辞職した後、組閣した前朝鮮総督の寺内正毅はこうした日中関係の悪化を緩和するため(ウ)当時の中国の中央政府に対して「西原借款」を実施した。同時に日本の対中政策によって悪化した日米関係は(エ)石井・ランシング協定の締結によって修復が試みられた。

設問1 本文中の空欄   1      2   にあてはまるもっとも適切な語句はどれか。A~Eからひとつ選びなさい。

   1   

A 関東大震災   B 虎の門事件
C シーメンス事件   D 血盟団事件
E 日比谷焼き討ち事件

   2   

A 青島   B 旅順
C 広州   D 寧波
E 杭州

設問2 下線部(ア)の「さまざまな改革」に含まれないものはどれか。A~Eからひとつ選びなさい。

A 陸海軍大臣の任用資格を改め、現役から予備・後備役の将官にまで広げた。
B 後継首相推薦権を確立した。
C 官吏の削減と予算の節減を行なった。
D 伏見宮らと協力して元老制度の機能停止を進めた。
E 文官任用令を改正し、自由任用の範囲を広げた。

設問3 下線部(イ)の「二十一ヵ条の要求」に含まれないものはどれか。A~Eからひとつ選びなさい。

A 山東省のドイツ権益の日本への譲渡
B 南満州と東部内蒙古における日本の優越的地位の承認
C 福建省の割譲要求
D 中央政府の政治・財政・軍事顧問としての日本人の招聘
E 日中合弁事業の承認

設問4 下線部(ウ)の「当時の中国の中央政府」の政権担当者は誰か。A~Eからひとつ選びなさい。

A 袁世凱   B 段祺瑞   C 黎元洪
D 孫文   E 蒋介石

設問5 下線部(エ)の「石井・ランシング協定」に関する説明に該当しないものはどれか。A~Eからひとつ選びなさい。

A アメリカは中国における日本の特殊利益を承認した。
B 日米両国は中国の独立・領土保全・門戸開放・機会均等の原則を確認した。
C この協定は九ヵ国条約で破棄された。
D 日米両国は中国の安定政権樹立に協力することを確認した。
E 中国政府はこれに拘束されないと表明した。

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