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この問題でおさえておきたいこと

班田制の崩壊によって、税制が人頭税から地頭税に変わったことと、国司の役割に変化があったことをおさえよう!

解答
問1 ②   問2 ③   問3 ④

解説

問1 a:国司は中央貴族が任じられた律令制下の地方官なので、中央から諸国に派遣されます。国司は赴任すると、司法・政治・軍事などの地方政治のいろいろな面を担いますが、赴任する役所を国府(または国衙)といいます。よって、この文は正しいです。

b:国司が土木工事や雑用に奉仕させるのは雑徭(税制転換後なら臨時雑役)ですので、「庸を徴収した」というのは誤りです。

c:「在庁官人」というのは、遙任の国司の指揮を受けて、現地を統治する有力豪族のことです。「在京したまま任国に下向しない国司」とは遙任のことです。よって、この文は誤りです。

d:「ポイントのまとめ」にあるとおり、任国に赴任しない国司は目代を派遣し、政務を担当させました。なので、この文は正しいです。

以上より、a・dが正しい文ということになります。

問2 ③にある初期荘園の成立は8~9世紀のことなので、10世紀以後の説明にはあてはまりません。また、初期荘園の収入が国家収入となるわけではないので、国家がそれを奨励するということもありませんし、ほかの選択肢は「ポイントのまとめ」を参照すればすべて正しいとわかります。

問3 「ポイントのまとめ」にあるとおり、戸籍をもとにした人頭税(人に対しての課税)から転換され、田地の耕作を田堵に請け負わせての官物や臨時雑役(土地に対しての課税)になっていきました。ということで、「戸籍にもとづく支配が強化された」というわけではありませんので、④が誤りとなります。

ちなみに、②についてですが、桓武天皇は班田の期間を12年ごとにしたり、雑徭の日数を半減したりという、農民負担を軽減する政策を打ち出しました。これにより、班田制を維持しようとしましたが、それでも班田制の維持は困難でした。

ポイントのまとめ

・班田制の崩壊と税制の転換

もともと律令の税制では…

課税:戸籍などに記載された成人男子が中心(=人に対して課税

徴税:郡司が税の徴収・運搬や実務(文書作成など)を担当

国司の役割:中央政府の監督のもとで行政を担う

租税:
口分田に課せられた
成人男子に課税された課役(庸・調・雑徭)

負担の重さにより、浮浪・逃亡・偽籍(男子が生まれたにもかかわらず戸籍上は女子に偽る、など)が横行

中央の財政維持が困難に
各役所などが財源確保に乗り出す

直営田の収入は政府に入るわけではないので、醍醐天皇が律令制・班田制のたてなおしをはかる
902年 延喜の荘園整理令で班田を実施

不徹底に終わる=これが最後の班田に

税制の転換

課税:
田地を、ある程度大きなという単位にまとめ、その経営を地元の有力農民である田堵に請け負わせる(=土地に対して課税

徴税:国司が田堵からまとめて税を徴収→国司の権限強化、郡司の役割低下

国司の役割:田堵から納められた税を中央に送るかわりに、任国の支配を任される
(一定額を中央に送ればよい)

租税:
律令の租・庸・調に相当する官物
律令の雑徭に相当する臨時雑役

※田堵のなかでも、特に大規模経営をおこなった田堵を大名田堵とよびます。
また、11世紀なかばごろになると、田堵は権利を強め、名主とよばれるようになりました。

・国司の実態

一定額を中央に送ればよいので、国司は都に送った残りを自分のものにできるように
→国司を希望する貴族が増加

国司の乱れ

1.わいろの横行

2.受領(任国に赴任した(行った)国司)の暴政

例:藤原元命は、郡司や百姓から「尾張国郡司百姓等解文」で非法を訴えられ、翌年解任

3.遙任(任国に赴任しない(行かない)国司)の出現

遙任は、代わりに一族や子弟などの代理人(目代)を現地に派遣し、現地の有力豪族(在庁官人)を指揮して任国を統治

※目代と在庁官人で構成される任国の国衙を留守所とよびます。

・田堵の変化

大名田堵は現地で開墾を行い、自分の土地をもつ
大名田堵はその土地の開発領主となる

開発した土地の税をめぐる国司からの圧力を逃れるため、開発領主は国司よりも力の強い貴族や寺社に寄進をする
寄進地系荘園の成立

※寄進することで、土地の所有者は、寄進を受けた貴族や寺社になります。その代わりに、開発領主はその土地の管理人である荘官に任命されます。