問題ページにもどる

この問題でおさえておきたいこと

近代以降の政治史は、どの首相のときに何の政策や政治上のできごとがあったかをおさえること!

解答
A
1.(ウ)   2.(エ)
3.(ア)   4.(エ)
B
(例)日本新党の細川護熙を首班とする内閣は非自民8党派で構成され、政治改革関連4法案を成立させた。次に新生党の羽田孜が、日本社会党をのぞく少数与党内閣を組織し、短命に終わった。その後は日本社会党の村山富市が自由民主党を含む3党連立内閣を組織した。(120字)

解説

日本の議会政治についてのテーマ史問題です。

A

1.1889年に大日本帝国憲法衆議院議員選挙法が成立したのを受けて、第1回の衆議院総選挙は実施されました。そのときの選挙権の規定は、15円以上の直接国税を納める25歳以上の男性に対してのみ与えると多くの教科書にありましたから、これに一番近い選択肢である(ウ)が正解と判断できます。

ちなみに、投票方法ははじめは記名投票でしたが、1900年(明治33年)に衆議院議員選挙法が改正され、秘密投票という形に切り替わりました。

2.加藤高明内閣のときに普通選挙法が成立し、25歳以上の男性全員に選挙権が与えられました。清浦奎吾内閣がたびたび議会を無視したため、第二次護憲運動が起きて内閣が倒れ、その運動を展開した護憲三派による内閣の首班が加藤高明でした。

3.この総選挙によって成立したのが片山哲内閣ですが、この内閣は日本社会党・民主党・国民協同党の3党連立内閣でしたから、(イ)、(ウ)、(エ)は正解ではないとここから判断できます。

また、共産党は政権と協定をかわすなど、政権と近くなるようなことはこれまでしたことがありませんので、(オ)が正解と考えるのも難しいでしょう。以上より、(ア)が正解と考えることができます。

4.正解するのがかなり難しい問題だといえるでしょう。新産業都市建設促進法は池田勇人内閣によって成立したものなので、(エ)が間違っている選択肢です。

B

1990年代前半の政治史についての論述問題です。問題文と与えられた語群から考えると、何の政党に所属していた誰が総理大臣になったのか、そして政治状況として、そのときの内閣はどのような形の政権だったのか(たとえばどういう連立政権だったのか、など)ということを述べればよいとわかります。

自由民主党が1993年に政権を去った後にできた内閣について、語群を参考に、それらの点をまずはまとめてみましょう。

       

内閣

所属政党

政治状況

細川護熙内閣

日本新党

自由民主党長期政権のもとでの政治腐敗に対する国民の不満

自由民主党が選挙で敗北、非自民8党派で組閣

政治改革関連4法案を成立

羽田孜内閣

新生党

発足前に日本社会党が連立離脱を表明

少数与党内閣として成立

短命に終わる

村山富市内閣

日本社会党

日本社会党・自由民主党・新党さきがけの3党連立内閣として成立

記述の書き出しについても、例が示されていますから、それを参考にしつつ、上の表の内容を字数制限に合うように書くといいでしょう。ちなみに、語群の中で不要の語句について、少しほど解説します。

解答のチェックポイント