この問題でおさえておきたいこと
大正政変に至る流れと、山本権兵衛内閣が行った改革、中国に関連した要求や取り決めの内容をおさえよう!
解答
設問1 1 …C 2 …A
設問2 B 設問3 C
設問4 B 設問5 D
解説
設問1 1 の選択肢にある「虎の門事件」は、当時の皇太子が襲撃された事件です。これにより、第2次山本権兵衛内閣は総辞職をすることになりました。ただし、この問題では第1次山本権兵衛内閣のできごとが問われていますから、シーメンス事件のほうが正解となります。
設問2 元老などの推薦をもとに第2次大隈内閣が成立したことを知っていれば、後継首相を推薦することができていないことがわかるのでBが不正解とわかるのですが、相当細かい知識となるので、この問題はかなりの難問といえるでしょう。AとEが正解ではないとわかったかどうかは確認しましょう。
設問3 日本は福建省について、割譲を要求してはおらず、ほかの国に割譲をしないように要求したにとどまっています。よって、Cが正確な記述ではありません。
設問4 「ポイントのまとめ」を確認してください。
設問5 A~Cが正しい文ということはわかったかどうかは確認してほしいですが、それ以外の選択肢の判断が難しいでしょう。中国政府(袁世凱政権)は協定が発表されたときに、協定に対する抗議を申し出ており、協定を受け入れていません。このことをもって、Eも正しい文とみなすことになりますが、かなり微妙な判断を要するので、難問といえるでしょう。
ポイントのまとめ
第2次西園寺公望内閣
陸軍が朝鮮駐屯軍の2個師団増設を内閣に要求
↓
内閣は緊縮財政を理由に拒否
陸軍大臣の上原勇作が内閣を辞職、軍部は後任を出さず
↓
軍部大臣現役武官制(軍部大臣は現役の大将・中将から任用しなければならないという制度)を根拠に西園寺内閣は総辞職
第3次桂太郎内閣が成立、詔勅に依存して組閣
↓
第一次護憲運動(大正政変)
具体的内容…立憲政友会の尾崎行雄や立憲国民党の犬養毅を中心に、「閥族打破・憲政擁護」を掲げて桂太郎内閣の退陣を要求
結果…桂太郎は立憲同志会を結成して対抗→世論の反発の激化により50日あまりで退陣
↓
第1次山本権兵衛内閣が成立(立憲政友会と提携)
改革の実施
- 軍部大臣現役武官制を改正(軍部大臣に任用できる対象を予備役・後備役にまで拡大)
- 文官任用令を改正(政党員でも高級官僚になれるようにした)
↓
シーメンス事件(軍艦購入の際の海軍高官とドイツのシーメンス社との贈収賄事件)の発覚
山本内閣は総辞職
↓
第2次大隈重信内閣(外務大臣:加藤高明)成立
↓
1914年 第一次世界大戦が勃発
日本は日英同盟にもとづき参戦、ドイツ勢力をアジアから一掃し、山東半島・青島・赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領
↓
二十一カ条の要求を中国の袁世凱政府に提出
おもな具体的内容:
- 山東省の旧ドイツ権益の継承
- 旅順・大連の租借期限、南満州鉄道の権益期限99年延長
(南満州・東部内蒙古の権益強化) - 漢冶萍公司の共同経営
(日中合弁企業の承認) - 福建省の他国への不割譲
- 中国政府の日本人顧問の採用
↓
1915年5月9日 中国政府が日本人顧問の採用など一部をのぞいて承認
(この5月9日が中国では国恥記念日に)
→中国内の排日運動激化、列強は日本に警戒感
↓
寺内正毅内閣成立
中国の権益確保をねらう
対中国:段祺瑞政権に対し、巨額の借款(西原借款)を与えて中国内乱を助長
対ロシア:第4次日露協約で極東における日露両国の特殊権益を再確認
対アメリカ:石井・ランシング協定により関係調整
石井・ランシング協定の交渉…日本側は石井菊次郎、アメリカ側はランシングが交渉
内容…日本は中国の門戸開放・機会均等を承認、アメリカは日本の満州権益を承認
経過…1922年の九カ国条約により撤廃
※第一次世界大戦について
サラエボ事件(オーストリア皇太子がセルビア人に暗殺されたことで、オーストリアがセルビアに宣戦布告)をきっかけに勃発
ドイツ・オーストリア、イタリアの三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商が対立したという構図です。