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高校日本史の問題演習

推古朝ごろの政治

※(  )内の年度のセンター試験の問題を参考に作られています。

問1 空欄( ア )( イ )に入る人物の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ(答えは半角数字で入力すること)。
(2003(平成15))


6世紀後半以降、蘇我氏は天皇家と積極的に姻戚関係を結んで長く外戚としての地位を占め、朝廷にあっては大臣の地位を独占した。その権勢は天皇家をしのぐほどとなり、対立者を武力で滅ぼすこともしばしばであった。592年、馬子が甥の崇峻天皇を暗殺し、姪の( ア )を即位させた事件はその一例である。このような強硬手段の多用は、やがて645年の蝦夷・( イ )父子の滅亡を招く一因となった。

① ア 推古天皇   イ 稲目
② ア 推古天皇   イ 入鹿
③ ア 皇極天皇   イ 稲目
④ ア 皇極天皇   イ 入鹿

問2 6世紀末から7世紀前半にかけての政治に関して述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ(答えは半角数字で入力すること)。
(2003(平成15))


① 5世紀以来とだえていた中国との交渉が、遣唐使の派遣により再開された。
② 豪族を官僚として編成するために、官位相当の制が定められた。
③ 官僚としての心構えなどを説いた憲法十七条が制定された。
④ 天皇の地位や由来、国家の歴史を明らかにするものとして『日本書紀』が編纂された。

問3 6~7世紀の政治的事件に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ(答えは半角数字で入力すること)。
(2014(平成26))


Ⅰ 蘇我入鹿らが、厩戸皇子(厩戸王)の子の山背大兄王を自殺に追い込んだ。
Ⅱ 大連の大伴金村が、対朝鮮諸国外交の失敗を糾弾されて失脚した。
Ⅲ 大臣の蘇我馬子を中心とする勢力が、物部守屋らを攻め滅ぼした。

① Ⅰ―Ⅱ―Ⅲ   ② Ⅰ―Ⅲ―Ⅱ
③ Ⅱ―Ⅰ―Ⅲ   ④ Ⅱ―Ⅲ―Ⅰ
⑤ Ⅲ―Ⅰ―Ⅱ   ⑥ Ⅲ―Ⅱ―Ⅰ

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明治初期の日本外交

※首都大学東京の入試問題を参考に作られています。

次の文章を読み、設問に答えなさい。

1871年、明治政府は三つの大きな外交政策を施した。その第1は、8月(旧暦7月)の廃藩置県に際して清国と( a )藩の両方に属していた琉球王国を、鹿児島県に編入したことである。第2は、9月に清国と日清修好条規を締結したことである。そして第3は、11月に①安政の五カ国条約を改正するための予備交渉として、岩倉使節団を派遣したことである。

1872年10月、政府は鹿児島県に編入した琉球を琉球藩とし、国王( b )を藩王とした。しかし、清国が琉球を日本領として認めたわけではなかった。翌1873年4月には、日清修好条規が批准され、9月には岩倉使節団が帰国した。この頃、政府内では西郷隆盛らの主張する②征韓論が主流となり、西郷の朝鮮派遣が決定されたが、大久保利通らの画策により、この決定が覆され、西郷らは下野した。この事件をもって、朝鮮・中国に対する領土的野心がおさまったわけではなかった。1874年5月、政府は台湾における琉球漁民の殺害などを発端として台湾に出兵し、その結果、
( c )公使の調停により日清互換条款を締結し、琉球を日本領と認めさせるとともに賠償金を支払わせたのである。さらに1875年9月には日本の軍艦が朝鮮の江華島付近で示威を行い、朝鮮側から砲撃を受けると、政府は朝鮮に迫って、③日朝修好条規を締結した(1876年2月)。

問1 文中の( a )から( c )に入る語句を答えなさい(( c )には国名が入る)。

a b c

問2 下線部①「安政の五カ国条約」は、1858年にアメリカやイギリスなど5カ国と締結した条約の総称である。アメリカとイギリス以外の3カ国を答えなさい。
(このホームページでは、五十音順に答えること)

問3 下線部②「征韓論」について、西郷隆盛や板垣退助らが主張した征韓論の内容と、そのねらいについて70字以内で答えなさい。

問4 下線部③「日朝修好条規」の内容について60字以内で答えなさい。

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小国の形成と東アジア

※明治学院大学の入試問題を参考に作られています。

下の年表を読んで、問a~fに答えなさい。(すべて半角数字で答えること)

ア.

57年

倭の( a )の王の使者が( b )の都、洛陽に行く。

イ.

107年

倭国王帥升の使者が( b )に行く。

ウ.

239年

邪馬台国の女王卑弥呼が( c )の皇帝、曹芳に使者を送り、多数の銅鏡などをもらう。

エ.

240年

卑弥呼が送った使者が帰国する。

オ.

266年

倭の女王が、( c )にかわって立った晋に使者を送る。

問a 空らんaに入れる適当な語を下から選びなさい。
① 奴国   ② 狗奴国   ③ 弥奴国
④ 邪馬台国   ⑤ 伊都国

問b 空らんbに入れる適当な語を下から選びなさい。
① 前漢   ② 新   ③ 後漢
④ 魏   ⑤ 呉

問c 空らんcに入れる適当な語を下から選びなさい。
① 魏   ② 呉   ③ 蜀
④ 前漢   ⑤ 隋

問d 年表ウの使者が通った朝鮮半島にある中国の直轄地はどれか、下から選びなさい。
① 真番郡   ② 遼東郡   ③ 帯方郡
④ 玄兎郡   ⑤ 臨屯郡

問e 卑弥呼のあとをついだ女王の名前を下から選びなさい。
① 載斯   ② 烏越   ③ 壱与
④ 難升米   ⑤ 伊声耆

問f 年表アからオの時代の倭国から中国への主な献上品を下から選びなさい。
① 土器   ② 木器   ③ 生口
④ 青銅   ⑤ 米

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室町時代の一揆

次の史料A,Bを読んで、あとの各問いに答えなさい。

〔史料A〕

「正長元年九月  日、一天下の( あ )蜂起す。( い )と号し、酒屋・土倉・( う )等を破却せしめ、雑物等恣にこれを取り、借銭等、悉くこれを破る。管領これを成敗す。凡そ亡国の基、これに過ぐべからず。日本開白以来、( あ )蜂起是れ初めなり。」

〔史料B〕

「文明十七年十二月十一日、今日山城( え )集会す。上は六十歳、下は十五六歳と云々。同じく一国中の( あ )等群集す。今度両陣の時宜を申し定めんが為の故と云々。然るべきか、但し又( お )の至也。両陣の返事問答の様如何、未だ聞かず。
(途中略)
文明十八年二月十三日、今日山城( え )、平等院に会合す。国中の掟法猶以て之を定むべしと云々。凡そ神妙なり。但し興成せしめば天下のため然るべからざる事や。」

(1)史料Aと史料Bは何の史料からとられた文章か、それぞれの史料の名前を答えなさい。

史料A
史料B

(2)史料中の( あ )~( お )をうめなさい。ただし、同じ記号のところには同じ言葉が入る。


(3)史料Aに書かれている一揆は、近江地方の運送業者による一揆が発端となって起こった。馬を利用した、この運送業者を何というか答えなさい。

(4)次のア~エの文は、史料Bに書かれている一揆について述べたものである。ア~エのうち、正しいことを述べているものはいくつあるか答えなさい。(半角数字で答えること)

ア この一揆により、守護であった富樫政親は自殺に追い込まれた
イ この一揆により、山城の国は8年間にわたって自治的支配が行われた
ウ この一揆は求心力が弱く、幕府によってすぐに鎮圧された
エ この一揆は播磨の土一揆の後に起こった

(5)史料Aに書かれている一揆の後、足利義勝の将軍就任を機に京でも一揆が起こった。この一揆を何というか答えなさい。

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化政美術

次の各文は、化政美術に関係する人物について述べた文である。それぞれの文が説明している人物は誰のことなのか、人物名を答えなさい。また、それぞれの人物に最も関係する事柄を、〈語群〉から選び、記号で答えなさい。〈語群〉にない場合は、×と答えなさい。

(1)彼は、肖像画『鷹見泉石像』や風俗画『一掃百態』などの作品を残したが、蛮社の獄の後、自殺した。

人物名記号

(2)彼は江戸時代の美人画の大家であり、『寛政三美人』や『婦女人相十品』などの代表作などで名声を博した。

人物名記号

(3)彼は長崎におもむいて洋画を研究した。それを活かして『不忍池図』などの作品をつくりあげた。

人物名記号

(4)彼は江戸時代の風景版画の大成者の一人であり、『富嶽三十六景』では富士山を大胆な構図と剛健な筆致で描いた。

人物名記号

〈語群〉
ア 濃絵   イ 大首絵   ウ 写生画
エ 文人画   オ 銅版画

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