問題ページにもどる

この問題でおさえておきたいこと

外交政策を、中国、朝鮮、琉球・台湾、ヨーロッパ諸国、ロシアに整理しておさえておこう!

解答
問1 a 薩摩   b 尚泰   c イギリス
問2 オランダ、フランス、ロシア
問3 征韓論とは、武力を背景として朝鮮の鎖国排外政策を打破し国交を開くという論である。政府への不満をもつ士族の矛先を海外に向けさせるためもあった。(70字)
問4 朝鮮を独立国として清国の宗主権を否定し、釜山など3港を開かせた。日本の領事裁判権や無関税特権を保障した不平等条約だった。(60字)

解説

問3 明治政府にとって悩みの種は没落してゆく士族が不平士族化してゆくことでした。征韓をすればその士族を活用することができるというのが征韓論者の考えで、台湾出兵の際には士族が活用されていました。そして朝鮮を征服すれば、国権伸長もできるということも考えられました。いずれにしても、征韓論は士族をどうするかということが背景にあったものといえます。

解答のチェックポイント

問4 単に条約名だけを覚えるのではなく、条約のおおまかな内容もおさえておくと、前後の歴史の流れを理解しやすくなります。内容のチェックも怠らないようにしましょう。

解答のチェックポイント

ポイントのまとめ

①中国(清国)

1871年 日清修好条規締結(日本代表:伊達宗城、清国代表:李鴻章
内容:領事裁判権、協定関税の相互容認=対等な形の条約

②朝鮮

鎖国状態の朝鮮への国交要求が拒否される

征韓論(=朝鮮の鎖国政策を武力で打破しようとする主張)
主な主張者:西郷隆盛木戸孝允板垣退助など

大久保利通などが内治優先を主張→西郷隆盛らの下野(=明治六年の政変(征韓論政変)

1875年 江華島事件
日本の軍艦が、朝鮮の漢江河口付近で砲撃を受ける

日本が朝鮮に圧力→日朝修好条規(江華条約)
内容:釜山・仁川・元山の開港日本の領事裁判権と無関税特権を認める=朝鮮にとっての不平等条約

③琉球・台湾

・もともとは清国と薩摩藩の両方に服属していた琉球

1871年 琉球漁民殺害事件
1872年 琉球藩設置(藩王:尚泰)→1879年 沖縄県設置(これが琉球処分

・1874年 台湾出兵←琉球漁民殺害事件
これにより、琉球への支配権が強化

④欧米諸国

岩倉遣外使節団の派遣
(条約改正交渉・文化視察のため)

⑤ロシア

樺太・千島交換条約締結
→ロシアとの国境が確定