この問題でおさえておきたいこと
一揆の目的を中心に、室町時代に起きた5つの一揆をおさえよう!
大乗院日記目録と大乗院寺社雑事記は本文も見ること!
解答
(1)
史料A…大乗院日記目録
史料B…大乗院寺社雑事記
(2)
あ 土民
い 徳政
う 寺院
え 国人
お 下極上
(3)馬借
(4)2
(5)嘉吉の土一揆(嘉吉の徳政一揆でも可)
解説
(1)史料Aには「正長元年」「日本開白以来、…蜂起是れ初めなり」とあることから、正長の土一揆(徳政一揆)について書いた『大乗院日記目録』、史料Bには「山城」「平等院に会合す。国中の掟法猶以て之を定むべし」とあることから、山城の国一揆について書いた『大乗院寺社雑事記』と判断できます。
どちらも興福寺の僧侶である尋尊によって編集されたということもおさえておきましょう。
(2)史料への穴埋めなので、史料にあるとおりの書き方を正解とします。よって、( お )については、歴史用語では「下剋上」が正しいですが、「下極上」と書くのが正しいとします。
(4)アは加賀の一向一揆についての記述です。ウについては、「求心力が弱く」や「幕府に鎮圧された」とある部分が間違いです。
イとエは正しいので、正しいことを述べた文は2つです。
ポイントのまとめ
正長の土一揆(徳政一揆)(1428年)
目的:徳政の要求
その他のポイント:
- 『大乗院日記目録』に記述が残されている
- 近江の馬借(馬を使った運送業者)が一揆を起こしたことが近畿一帯に波及
- 「正長元年ヨリサキ者カンヘ四カンカウニヲヰメアルヘカラス」と刻まれた、一揆の記念の碑(徳政碑文)がある
播磨の土一揆(1429年)
目的:守護の赤松満祐の家臣を国外へ追放すること
その他のポイント:
- 公家の中山定親による『薩戒記』に記述が残されている
- 一揆は赤松満祐により鎮圧
嘉吉の土一揆(徳政一揆)(1441年)
目的:「代始の徳政」(=足利義教が暗殺され、新将軍の義勝が決まった記念の徳政)
その他のポイント:
- 『建内記』に記述が残されている
- 幕府は最初、一国平均の徳政令(山城一国だけの徳政令)を出しておさめようとするが、結局、天下一同の徳政(全国一律の徳政令)が出される
山城の国一揆(1485年)
目的:両畠山軍(畠山義就・畠山政長の軍)を山城から追い出すこと
その他のポイント:
- 『大乗院寺社雑事記』に記述が残されている
- 両畠山軍を追放し、宇治平等院で「国中の掟法」を制定、8年間による自治支配を行う
- 36人の月行事(36人衆)が支配
加賀の一向一揆(1488年)
目的:守護の富樫政親を倒すこと
その他のポイント:
- 富樫政親を自刃させ、その後約100年にわたって国人・僧侶・農民による寄合が自治支配
- 織田信長により鎮圧