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高校世界史の問題演習

令和6年10月13日

インド洋海域の交流史

※中央大学の入試問題を参考に作られています。(カタカナは全角で、アルファベットは半角で入力すること。)

次の文章を読み、下線部(1)~(8)について下記の【設問】に答えなさい。

人間は古来海と海とを介してさまざまな活動を営んできた。フランスの歴史家(1)フェルナン=ブローデルは、その空間を「海域」とみなし歴史叙述を試みた。『フェリペ2世時代の地中海と地中海世界』において、ブローデルは、地中海とその周辺に位置する国々や地域、およびそこで活動する人々を一つの場を共有する「地中海世界」として描こうとした。やがて地中海よりも壮大なインド洋海域の歴史研究も発展していった。

こうした海域の歴史は、インド洋海域や南シナ海海域などにもみることができる。インド洋ではすでに1世紀頃からモンスーン(季節風)を利用して、アラビア半島からインド西岸を往復する航海術が開発されていた。これによって海上交易が盛んになり、地中海世界との間で多くの交易品が運ばれた。

8世紀、アジア,アフリカ,ヨーロッパを結ぶ地域にイスラーム世界が成立した。イスラームは商人の倫理を重んじ、メッカ巡礼路の安全を確保して、人,もの,情報の移動を可能とするネットワーク型社会を促進してきた。イスラーム世界では、海域世界と陸域に広がるイスラーム都市がネットワークを形成してきた。ムスリム商人は、(2)インド(3)東南アジア,南中国の港市にもおもむくようになった。10世紀ごろから、それまで陸路に置かれていた東西交易の重要性が海上交易にシフトして海域世界が発展する。南シナ海交易では、インド洋に本拠地をもつムスリム商人がそれまで数多く来航していたが、中国商人が南シナ海交易の主体となった。元の時代には、(4)海路を利用した人の行き来も活発に行われた。海域世界では、往来を維持するために、航海活動の拠点となる港市が結節点として機能し、(5)遠距離交易にも耐える船が活躍した

また、アフリカ東海岸へのルートが活性化し、東アフリカが本格的にインド洋交易に組み込まれ、インド洋を中心とするムスリム商人の海洋ネットワークが形成された。(6)東アフリカの沿岸部では、ムスリム商人の来航と共に諸港市が交易の拠点として発展した

10世紀後半のバグダードの政治的混乱の影響を受けて、主要航路がペルシア湾ルートから紅海ルートに移った。やがてカイロがイスラーム・ネットワークの中心となり、この地域を支配したアイユーブ朝とマムルーク朝は紅海ルートの交易を掌握した。このような商業活動は、イスラーム法に基づいた取引、アラビア語やペルシア語という共通語の広がり、(7)イスラーム世界で流通していた貨幣、イスラーム世界で発達した商慣行である協業組織にも支えられていた。

14世紀が生んだ大世界旅行家イブン=バットゥータのインド洋横断の旅は、とりわけ躍動感に満ちあふれたものであり、彼の『大旅行記』のなかでインド洋海域世界とともに生き生きと描かれている。

インド洋海域世界は、ヨーロッパ勢力が進出する16世紀までは、比較的平和な海域であった。(8)15世紀末にインド洋航路を開拓したポルトガルは、武力で交易ネットワークを支配しようとした。しかし軍事的優位は長く続かず、アラビア海の交易を独占できなかった。1517年にマムルーク朝を滅ぼし紅海ルートを手に入れたオスマン帝国は、貿易や東方からのメッカ巡礼のルートの確保のために、インド洋への関心を強めた。

【設問】

(1) 彼の主張によれば、西ヨーロッパは1571年の海戦においてオスマン帝国の海軍を打ち破って、ようやくイスラームの地中海支配に終止符を打ったという。この海戦の名を答えよ。

(2) 14世紀に成立しカリカット・クーロンなどの港市を支配した南インドの王国は、インド洋交易でうるおい、ヒンドゥー王国でありながらイスラーム文化を受容していた。この王国は何と呼ばれるか。

(3) マラッカ海峡沿いのマレー半島やスマトラ島の沿岸には、多数の港市国家が誕生した。いくつかの港市国家は連合して宋に朝貢した。この連合国家を何というか。

(4) イタリアのフランチェスコ会修道士で、ローマ教皇の使節として、イル=ハン国を経て海路で1294年大都にいたり、初代大都大司教に就任した人物の名を答えよ。

(5) インド洋の遠距離交易で用いられたムスリム商人の帆船を何というか。

(6) 15世紀末に喜望峰をまわって来航したヴァスコ=ダ=ガマが寄港し、ムスリムの水先案内人とともにカリカットに向けて出発したところとして知られる港市はどこか。下の地図の中から記号で選び、またその名称を答えなさい。

記号 名称

(7) アラビア語やペルシア語が共通の商業用語となり、イスラーム世界の金貨がインド洋一帯に流通するようになった。この金貨は何と呼ばれるか。

(8) ポルトガルは1510年インド西岸の港市を占領し、総督府をおいてアジア進出の拠点とした。この港市はどこか。下の地図の中から記号で選び、またその名称を答えなさい。

記号 名称

高校 世界史 問題演習 インド洋周辺の地図

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