この問題でおさえておきたいこと
殷や周については政治的特徴や青銅器文化、春秋戦国時代については鉄器・牛耕の普及や青銅貨幣、諸子百家や戦国の七雄がチェックポイント!
解答
イ …b
① c ② a ③ d ④ b
⑤ d ⑥ c ⑦ c ⑧ a
解説
イ 「ポイントのまとめ」にあるとおり、東周となったときに都は鎬京から洛邑になりました。ちなみに、cの臨淄は戦国の七雄のひとつである斉の都です。
① 「ポイントのまとめ」を参照してください。
② 鉄製農具は春秋時代に普及しましたから、殷王朝の時代のことではありません。
③ 周は東胡ではなく犬戎によって都を攻略されました。ちなみに、東胡は春秋時代ごろにモンゴル高原東部で繫栄した民族です。
④ 諸侯ではなく、周王や諸侯の家臣が卿・大夫・士とよばれました。
⑤ 屈原の詩歌が収録されているのは『楚辞』です。『詩経』は周代の詩が収録された中国最古の詩集で、五経のひとつとされています。
⑥ 魯はたしかに孔子の出身地ですが、これは戦国の七雄には入っていません。
⑦ 陰陽五行説は陰陽家の鄒衍などによる思想であり、公孫竜は関係がありません。公孫竜も諸子百家のうちの一人ですが、彼は名家の人物で「白馬非馬論」(白馬は色と動物という二つの概念を合わせたものなので、単なる動物の馬とは別のものになるので馬ではないとする詭弁)を唱えました。
⑧ 君主による民の教化は儒家の思想であり、法家の思想と異なります。「ポイントのまとめ」にもあるとおり、法家は法によって社会を統制しようとする考えを持っています。
ポイントのまとめ
・中国文明の発生
黄河・長江流域に新石器文化が形成され、黄河流域では雑穀、長江流域では稲を中心とする農耕が開始、文明が発達していった
- 仰韶文化…
彩文土器(彩陶)を使用したため、彩陶文化ともよばれる - 竜山文化…
牛馬の飼育がされるようになる
黒陶を使用したため、黒陶文化ともよばれる - 長江文化…
稲作をおこない、高床式住居を特色とする
河姆渡遺跡や三星堆遺跡が発見される
・初期王朝と春秋戦国時代
城壁をもった都市が形成されていき、多くの都市を統合して支配する王が出現する
伝説では禹が始めた夏王朝が最初の王朝とされる(ただし、日本ではまだ一般的な定説になっていない)
↓
殷王朝(商)(殷墟の発掘で確認されたので、現在確認できる最古の王朝である)
青銅器を使用
占いのため亀甲や獣骨に甲骨文字(現在の漢字の起源)を書く=祭政一致の神権政治
↓
王朝交代(中国では、悪政がつづくと徳のある人が天子となるとする易姓革命であるとされ、王朝交代が正当化)
鎬京(渭水地域にある)を都とする周が成立
周王や諸侯は家臣(卿・大夫・士)に土地を与えるかわりに、家臣は軍役を負うという封建制度をしく
その土地は世襲のものとなり、血縁が重視されたつながりである宗族の団結を守るために宗法が整備された
↓
異民族の犬戎が鎬京を攻略、周は洛邑に都をうつし、東周とよばれる
周の弱体化、春秋戦国時代の到来
↓
春秋時代
尊王攘夷(周王を主君として仰ぎ、外的を撃退する)の考えのもと、諸侯が同盟を結んで覇者となる(最も有力な諸侯5人を春秋の五覇という)
鉄製農具や牛耕が普及され、農業生産力が向上
↓
戦国時代
周王の権威が喪失、有力諸侯が王を名乗りはじめ、斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙の7つの国々(戦国の七雄)が互いに争う
商工業が発達し、青銅貨幣(斉・燕の刀貨や韓・魏・趙の布貨など)が流通
・春秋戦国時代における社会・思想の変化
1.社会
鉄製農具や牛耕の普及により、農業生産力が向上→小家族の独立が可能に
商工業の発達と青銅貨幣の流通→富の蓄えが可能に
↓
氏族制度、封建制度が崩壊、実力主義による下剋上(下の者が上の者を倒す)がさかんに
2.思想
社会秩序や人間のあり方について主張したさまざまな思想家(諸子百家)があらわれた
儒家 |
孔子 |
『論語』に考えが記される |
孟子 |
人間は生まれながらにして善であるという性善説を唱える |
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荀子 |
人間は生まれながらの善悪の判断はできず、礼楽(正しい儀式)によって導かれるべきという性悪説を唱える |
|
墨家 |
墨子 |
儒家の思想を差別的な愛だと批判 |
道家 |
老子 |
道家の代表的な人物 |
荘子 |
老子の説を発展させる |
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法家 |
商鞅 |
秦の考公のもと変法を実施 |
韓非 |
荀子の弟子 |
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李斯 |
韓非を謀殺し、丞相として秦の始皇帝に仕える |
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縦横家 |
蘇秦 |
秦以外の6国が連合して秦に立ち向かうべきという「合従策」を唱える |
張儀 |
秦以外の国は秦と争わずに連携すべきという「連衡策」を唱える |
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陰陽家 |
鄒衍 |
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兵家 |
孫子、呉子 |
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名家 |
公孫竜 |