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この問題でおさえておきたいこと

戦後の東ヨーロッパは社会主義化→自由化・民主化を求める運動とその弾圧→社会主義政権の崩壊という過程をあゆんでいるのが多い!

解答
問1 ②   問2 ②   問3 ①

解説

問1 文章中に「ポズナニ」とあることをヒントに、この文はポーランド反ソ暴動と同時期に起こった、ハンガリー反ソ暴動について述べていると判断できます。よって、( ア )に入るのは1956ということになるのでbの時期にあたるとわかります。

ただし、この年号を知らなくても、歴史の流れを把握していれば解くことができます。この2つの暴動は、フルシチョフのスターリン批判に触発されて起こったのですから、それと合致する期間はbしかありません(cやdではフルシチョフがすでに解任されていますし、aではまだスターリンが政権を握っていた時期です)。

問2 aの内容は「ポイントのまとめ」にあるとおり正しいです。自主管理労組「連帯」がワレサにより結成され、ワレサは後に大統領となります。

bの内容は誤りです。「ポイントのまとめ」にもありますが、チャウシェスクはポーランドではなくルーマニアで政権を握っていました。

問3 ①:この文は「ポイントのまとめ」にあるチェコ事件について述べられています。ソ連などが軍事介入をしましたので、この文は正しいです。

②:ポズナニはポーランド反ソ暴動が起こった場所です。ハンガリー反ソ暴動はブダペストで起こりました。

③:東ドイツ政府はたしかに「ベルリンの壁」を築きましたが、その目的はソ連との関係を断つためではなく、人民が西側諸国へと脱出することを防ぐためです。

④:ソ連のフルシチョフにより、平和共存路線が打ち出されましたが、ワルシャワ条約機構が解体されたのは、ソヴィエト連邦が崩壊した1991年です。

ポイントのまとめ

・東ヨーロッパ諸国の基本的な戦後史

第二次世界大戦でドイツに占領され、ソ連によって解放される

ソ連の影響が強くおよび、社会主義政権が樹立

ソ連のフルシチョフによるスターリン批判(1956年)の影響で、自由化・民主化を求める民衆の動きが発展するも、弾圧

ソ連の停滞により民主化の動きが1989年ごろに加速(東欧革命

・東ヨーロッパ各国の歴史

           

ポーランド

人民民主主義をかかげる政権が生まれるも、次第にソ連の衛星国化(=ソ連の言いなり)

1956年 スターリン批判に触発されてポズナニポーランド反ソ暴動、これによりゴムウカ政権成立

物価政策に民衆が反発したためゴムウカ退陣、経済が停滞

ワレサにより自主管理労組「連帯」が結成

1989年 選挙により連帯が圧勝、ワレサが大統領に就任

ハンガリー

人民民主主義からソ連の衛星国

1956年 ハンガリー反ソ暴動が起こり、ソ連の圧力で失脚していたナジ=イムレが政界復帰

ソ連が軍事介入、ナジ=イムレ処刑

1989年 複数政党承認など民主化始まる

チェコスロヴァキア

共産党政権が成立、経済が停滞

1968年 ドプチェクによる自由化路線の推進(「プラハの春」)、ソ連と東ヨーロッパ4か国の軍隊が軍事介入(チェコ事件

1989年 民主化・自由化を求める運動が起こり、民主化実現
1993年 連邦制解体によりチェコとスロヴァキアに分離

ルーマニア

共産党政権が成立

チャウシェスク独裁政権が成立、対ソ独自外交を展開

1989年 チャウシェスク処刑により独裁政権崩壊、民主化が達成

アルバニア

スターリン体制に追随

スターリン批判後にはソ連と対決姿勢、対ソ国交断絶・ワルシャワ条約機構脱退

1990年 自由化・民主化に踏み切る

ユーゴスラヴィア

第二次世界大戦では、ティトーの指導によるパルチザン闘争でナチスから解放

戦後はソ連とは距離をおいた独自の社会主義路線・外交を展開
(例:各国共産党連携のための国際組織であるコミンフォルムから除名、ワルシャワ条約機構不参加、非同盟諸国首脳会議開催)

ティトーの死後、分裂