この問題でおさえておきたいこと
各皇帝の功績をもとに、清がどのようにして中国を支配するようになったかを理解しよう!
清の中国統治のしかた、漢民族統治の方法もおさえる!
解答
問1 ④ 問2 ④ 問3 ②
解説
問1 1727年に結ばれたということと、モンゴル北辺の国境を定めたということから、キャフタ条約と判断できます。キャフタ条約を結んだ皇帝は雍正帝なので、正解は④となります。ちなみに、南京条約はアヘン戦争の講和条約として、清とイギリスが結んだ条約です。
問2 ①:軍機処を設置したのは雍正帝です。
②:北京を占領したのは順治帝です。「ポイントのまとめ」にあるとおり、呉三桂に導かれて北京に侵攻しました。
③:アマーストがイギリスから清に派遣されたのは19世紀前半なので、康熙帝が清を治めていた時期と異なります。
④:「ポイントのまとめ」にあるとおり、康熙帝は典礼問題により、イエズス会の布教のみ認めました。よって、正しいのはこの文となります。
問3 ①:満州族の風俗を漢民族風に改めたのではなく、漢民族に満州族の風俗を強制させました。
②:「ポイントのまとめ」にあるとおり、チベットやモンゴル・青海・新彊は藩部として理藩院が統轄していたので、この文は正しいです。
③:清は文字の獄や禁書で反清思想を厳しく取り締まりました。
④:清は満漢併用制をとっていたので、要職にも漢民族を起用していました。
ポイントのまとめ
・清の各皇帝と中国支配
1)ヌルハチ
- 後金を建国
- 明に徹底抗戦→八旗という軍事組織制度を整備
- 満州文字を制作
2)ホンタイジ(太宗)
- 国号を清に改称
- 李氏朝鮮を属国として支配
3)順治帝
- 呉三桂に導かれて北京に侵攻、清の首都とする
- 李自成(明の滅亡のきっかけとなる反乱を起こした人物)を討つ
- 呉三桂らに三藩(雲南・広東・福建)の支配権を認める
4)康熙帝
- 三藩の乱を鎮圧し、中央の権力を強める
- 反清運動をしていた鄭成功を平定
鄭成功が支配していた台湾(鄭氏台湾)を領土に - 1689年 ロシアのピョートル1世とネルチンスク条約を締結
(アルグン川とスタノヴォイ山脈を国境とした) - 典礼問題でイエズス会の布教のみ認める
(布教に際して中国の伝統的儀礼を認めたのがイエズス会だけだったので、イエズス会のみ布教を許された)
5)雍正帝
- チベット・青海を平定
- キリスト教を全面禁止
- 1727年 ロシアとキャフタ条約を締結
(モンゴル北辺の国境を確定) - 軍事にかかわる最高機関である軍機処を設置
6)乾隆帝
- ジュンガルを滅ぼし、征服地を新彊にする
- 藩部を管理する機関である理藩院を整備
・清の統治のしかた
1)領土支配のしかた
- 直轄地…中国本土・台湾
これらの地域は皇帝が直轄(台湾には総督をおく) - 藩部…モンゴル・青海・チベット・新彊
これらの地域は理藩院が統轄 - 朝貢国…朝鮮・ベトナム・タイ・ビルマ・ネパール・琉球
これらの地域には支配はしなかったが、主従関係を結んだ
2)漢民族に対する「アメとムチ」
懐柔策
- 要職の満漢併用制
- 科挙の実施
- 中国文化の尊重
威圧策
- 辮髪の強制
- 文字の獄・禁書(反清的な文字や思想を扱った書物を摘発して作者を処罰)