この問題でおさえておきたいこと
唐の時代にモンゴル高原、チベット、雲南地方、朝鮮でどんな国ができていたかおさえよう!
唐とどのような関係を持っていたかも重要!
解答(例)
モンゴル高原ではトルコ系の東突厥が覇権を唱えていたが,唐は7世紀のはじめごろに東突厥を服属させた。その後東突厥は再び独立して強大化したが,8世紀中ごろにウイグルに滅ぼされた。ウイグルは安史の乱では唐を支援し,その後は度々唐に侵入した。ウイグルは9世紀にキルギスに滅ぼされた。チベットでは7世紀にソンツェン=ガンポが吐蕃を建国し、唐と交流した。吐蕃は安史の乱に際して一時長安を占領し,その後唐と和平を結んだ。雲南地方では,南詔が建国され、唐の律令体制の受け入れや漢字の受容など唐の文化の影響を受けた。また、唐と吐蕃の関係を利用した外交を展開するなどして、8~9世紀ごろに最盛期を迎えた。(292字)
解説
「モンゴル高原、チベット、雲南地方」とあり、時期も「7世紀から9世紀にかけて」と指定されていますから、東突厥→ウイグル→キルギスという流れと吐蕃・南詔についての記述をすればよいということになります。
ただし、「唐の文化を受容し、あるいは唐と政治的関わりをもった」ともありますから、これらの民族や国が唐とどう関わっていたのかということもふれないと、十分な答えとはいえないでしょう。つまり、政治的な関わり、または文化的な関わりについても述べないといけないということです。
吐蕃と南詔(とくに南詔)については、教科書では名称しか触れておらず、あまりくわしく書かれてはいないので少し難しい問題ですが、その2点を意識して記述していくとよいでしょう。
解答のチェックポイント
- モンゴル高原の興亡として、東突厥→ウイグル→キルギスという民族興亡を述べているか
- 東突厥がウイグルに滅ぼされた時期として744年(または8世紀中ごろ)ということを明示しているか
- ウイグルがキルギスに滅ぼされた時期として9世紀ごろということを明示しているか
- 東突厥の唐との関わりとして、いったん唐に服属し、その後強大化したことを述べているか
- ウイグルの唐との関わりとして、安史の乱での唐への支援とその後の侵入についてふれているか
- チベットの興亡として、吐蕃の成立を述べ、その吐蕃を建てたのがソンツェン=ガンポだということを示しているか
- 吐蕃は唐と交流したことについてふれているか
- 吐蕃の唐との政治的関わりとして、安史の乱の際の侵入と唐蕃会盟について述べているか
- 雲南地方の興亡として、南詔の成立を述べているか
- 南詔は唐の文化の影響を受けたことを述べているか
- 南詔は唐と吐蕃の関係を利用した外交を展開したこと、または8~9世紀ごろに最盛期を迎えたことのどちらかについてふれているか
ポイントのまとめ
・北方(モンゴル高原)の動き
突厥
(大遊牧帝国を建国したが隋に圧迫され、583年に東西に分裂)
- トルコ系民族
- 西突厥は唐に敗れてその後衰退
- 東突厥は唐に服属し、支配下に入る
- 682年 東突厥が唐の支配下から独立、モンゴル高原に強大な国家を樹立
- 北方遊牧民の最初の文字である突厥文字をつくる
↓
ウイグル
- トルコ系民族
- 突厥を滅ぼす
- 安史の乱では唐を支援、その後唐を圧迫
- ウイグル文字をつくる
↓
キルギス
- トルコ系民族
- ウイグルを滅ぼす
・チベット
ソンツェン=ガンポが吐蕃を建国(都はラサ)
- 唐に使いを送ったり、唐の皇女と結婚したりするなど唐との関係を持つ一方でネパール皇女とも結婚
- チベット文字をつくる
- 仏教と固有の民間信仰が融合したチベット仏教が成立
- 安史の乱のときには長安に侵攻、その後唐蕃会盟という和約を結ぶ
・雲南地方
南詔が雲南地方を統一
- 唐と吐蕃両方と交渉
・朝鮮
新羅が朝鮮半島の大部分を統一
- 骨品制という身分制度がある
- 唐と結ぶことで有力となる
- 663年 白村江の戦いで唐・新羅連合軍が日本・百済の連合軍を破る
- 高句麗を滅した後、唐の勢力をしりぞけて半島の大部分を統一
高句麗滅亡後、中国東北部と朝鮮北部は渤海が支配
- 渤海は大祚栄が建国
- 唐の制度や文物をとり入れる
※東アジア地域では、唐を中心とした文化圏が形成され、周辺諸国の首長は唐に朝貢し、それにより統治権を認められるという外交秩序が形成されました。この外交秩序を冊封体制といいます。