この問題でおさえておきたいこと
国共合作を中心に、国民党と共産党の動きを理解しよう!
どこに政府や根拠地を置いたか(移したか)は要注意ポイント!
解答
1 …④ 2 …③ 3 …①
4 …③ 5 …② 6 …⑤
7 …⑤
〔設問8〕 ① 〔設問9〕 ④
〔設問10〕 ① 〔設問11〕 ③
解説
〔設問8〕「扶清滅洋」は義和団事件における義和団のスローガンです。外国勢力を追い出し、清朝を助けようという意味です。
〔設問10〕陳独秀は、第一次世界大戦後に中国の民族的自覚を高めた文学革命(新文化運動)にて、雑誌『新青年』を発行しました。これも重要事項なのであわせておさえましょう。
ポイントのまとめ
五・四運動(1919年5月4日)
パリ講和会議で二十一ヶ条要求廃棄の要求が拒否
→全国で反帝国主義・軍閥打倒の運動となり、軍閥政府はヴェルサイユ条約調印を拒否
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中国でナショナリズムの高揚 ←日本の侵出に無抵抗な軍閥政府への反発
- 1919年10月 孫文が中華革命党を改組し中国国民党を組織
- 1921年 中国共産党成立(初代委員長は陳独秀)
- ソヴィエト=ロシアのカラハン宣言
外国の干渉拒否、対中国利権の放棄を宣言→中国民衆の歓迎
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第1次国共合作(1924年)
中国国民党一全大会で孫文が方針転換
「連ソ・容共・扶助工農」(ソ連と連携し、共産党を受け入れ、労働者や農民を支援)をかかげ、共産党員が個人として国民党に入党することを認める
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反帝国主義運動の高まり
- 1925年 孫文の死(「革命いまだならず」と遺書に残す)
- 1925年 五・三〇運動
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蒋介石率いる国民党が広州国民政府を樹立し、北伐開始
国民党左派と共産党は武漢政府を樹立
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上海クーデタ(1927年)
浙江財閥の支援を受けて蒋介石が共産党を弾圧、排除=国共合作の崩壊
その後、蒋介石は南京国民政府を樹立(武漢政府も合流)
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済南事件など日本軍の妨害がありながらも北伐を続行
※日本軍の支援を受けた、軍閥の張作霖は敗退後、日本軍に爆殺されました(張作霖爆殺事件(奉天事件))。
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張作霖の息子の張学良が抗日のために国民政府に合流し、北伐が完成
一方、共産党は毛沢東率いる紅軍(共産党軍)が井崗山に根拠地を建設し、瑞金に中華ソヴィエト共和国臨時政府を樹立(主席は毛沢東)
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国民党と共産党の内戦激化
- 国民党軍が共産党を攻撃→共産党は長征を行い、根拠地を瑞金から延安に移す
- 共産党の八・一宣言
(国共内戦の停止と抗日を提唱)
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張学良が八・一宣言に共鳴
1936年 西安事件が起こる(張学良らが反共の立場をとる蒋介石を監禁し、共産党の周恩来が抗日を説得)
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1937年 盧溝橋事件(北京郊外の盧溝橋で日本と中国が軍事衝突)
=日中戦争開始
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第2次国共合作
抗日民族統一戦線が結成
→共産党の紅軍は蒋介石指揮下の八路軍・新四軍に編入
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日本軍が南京を占領した後、根拠地を武漢に移し、その後は重慶に移す
国民党の汪兆銘(蒋介石のライバル)は、南京に親日政権を樹立