この問題でおさえておきたいこと
ポルトガル・スペインそれぞれで誰がどこへ向かったかをおさえよう!
この海外進出による影響が何だったかも重要事項!
解答
問1 ① 問2 ② 問3 ③
解説
問1 ②:ブラジルはポルトガル領となったので、すべてがスペイン領となったわけではありません。
③:「ポイントのまとめ」にあるとおり、アメリゴ=ヴェスプッチという人名が由来です。
④:コルテスがアステカ王国を征服した当時のスペイン国王はカルロス1世で、マガリャンイス(マゼラン)の援助をした人と同じ人です。
問3 ①:ルネサンスはヨーロッパ諸国の新大陸進出より前の出来事です。ルネサンスによって、地球球体説などが提唱されたことが、大航海時代を幕開けさせた一つの原因ともいえます。
②:取り入れられたのはエンコミエンダ制です。軍管区制はビザンツ帝国における軍事的地方制度の名前です。
④:商人ギルドは11世紀ごろから形成されていたものになりますから、新大陸進出より前の出来事だということになります。
ポイントのまとめ
ヨーロッパ諸国の海外進出のはじまり
1.ポルトガル
- エンリケ航海王子がアフリカ西岸探検を推進→アゾレス諸島やヴェルデ岬に到達
- ジョアン2世がバルトロメウ=ディアスを派遣→アフリカ最南端の喜望峰に到達
- ヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到達=インド航路開拓→首都リスボンが繁栄
- カブラルがブラジルに上陸→ポルトガルのブラジル支配が開始
2.スペイン
- 女王イサベルがコロンブスをインドに派遣→サンサルバドル島に到達(1492年)=はじめて新大陸に到達
※コロンブスはトスカネリの地球球体説を強く信じたため西回りのインド航路を目指していました
また、インドに到達したと信じたため、現地の先住民をインディオと呼びました - バルボアがパナマ地峡を横断、太平洋岸にはじめて到達
- コルテスがアステカ王国を滅ぼす(1521年)
- マガリャンイス(マゼラン)がスペイン王カルロス1世の援助を受けて西回りで出航、太平洋を横断
本人はフィリピンで殺され、部下たちがスペインに帰着=世界周航を達成 - ピサロがインカ帝国を滅ぼす(1533年)
3.その他の国
- カボット(イタリア人)がイギリス王ヘンリ7世の援助を受けて北米を探検
- アメリゴ=ヴェスプッチ(イタリア人)が南アメリカ大陸を探検、新大陸であることを確認
※彼の名前が「アメリカ」という地名の由来になりました
※ポルトガルとスペインが海外進出をしていた最中の1494年に、この2国はトルデシリャス条約を結び、教皇子午線を少し西に移動させた分界線から、東側をポルトガル領、西側をスペイン領としました。
南米大陸のブラジルだけがポルトガル領だったのはこのためです。
ヨーロッパ諸国の新大陸進出の影響
1.インディオの搾取
コンキスタドール(征服者)が資源を求めて新大陸を侵略
↓
エンコミエンダ制(インディオへのキリスト教布教を条件に農園経営を入植者に委託してもらう制度)のもと、入植者はインディオを奴隷として利用
↓
インディオの人口が激減
ラス=カサスがインディオの悲惨な状況をスペイン国王に告発
※エンコミエンダ制は、しだいに衰え、17世紀ごろにはアシエンダ制(スペイン人大土地所有者が現地人を債務奴隷として経営する制度)に変わっていったこともおさえましょう。
2.商業革命
- 商業の取引範囲が地球規模に拡大
- 商品の種類や量が劇的に増加
- 遠隔地貿易の中心が地中海沿岸から大西洋沿岸へ
→北イタリアの東方貿易の衰退、リスボンやアントワープなどが繁栄
3.価格革命
ポトシ銀山の採掘により、ラテンアメリカの銀がヨーロッパに大量に流入
→銀の価値が下落、物価が上昇
↓
固定地代の収入に依存していた封建領主の没落
4.国際分業体制の確立
西ヨーロッパ…商工業の発達→人口が増加、食料が不足
東ヨーロッパ…貿易の中心から離れていたため、西ヨーロッパへの穀物生産を増加
↓
東ヨーロッパでは領主が農民の権利をおさえこみ、輸出用穀物を生産する直営地経営(農場領主制(グーツヘルシャフト))がひろがる
=農奴への支配の強化(再版農奴制)
5.生活革命
新大陸から新しい作物(ジャガイモ・トマト・とうもろこし)などがヨーロッパに伝わる