この問題でおさえておきたいこと
マウリヤ朝、クシャーナ朝、グプタ朝、ヴァルダナ朝の創始者、最盛期の王とその期間中の出来事をおさえよう!
中国の僧侶との関係もよくねらわれる!
解答
a …ナンダ b …アショーカ
c …カリンガ d …ダルマ
e …パータリプトラ f …ヴィシュヌ
(1)
(イ) 仏典結集
(ロ) スリランカ(セイロンでもOK)
(2)カーリダーサ
(3)カナウジ
解説
a ハイレベルな用語だったので、難しい問題です。シュードラ(奴隷の身分)が建てた王朝です。
b アショーカ王は中国名で阿育王と呼ばれていました。
c ・ d カリンガ国もハイレベルな用語です。この国を征服した際に、多数の人々の虐殺がされ、その惨状への反省から仏教に帰依したといわれています。
ダルマは法と訳されていますが、法律という意味ではなく、もっと普遍的で道徳的な徳目のようなものを指します。アショーカ王にとって、それに一番近かったのが仏教だったのです。
(1)(ロ)で問われたスリランカ布教ですが、これが成功したことにより、東南アジアなど他地域にも仏教が広がるきっかけができたのです。
(3)若干、レベルが高い問題だと思われます。ちなみに、王朝の都などは、名前だけ覚えるのではなく、資料集などで位置もおさえるようにしましょう。
ポイントのまとめ
紀元前6世紀ごろ ガンジス川中流域にマガダ国とコーサラ国がおこる
(インド最古の王国)
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紀元前317年ごろ チャンドラグプタがマウリヤ朝をひらく(首都:パータリプトラ)
=インド史上初の統一国家
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マウリヤ朝最盛期
王:アショーカ王
彼の政策:
- インド大陸のほぼ全域を支配
- 武力による統治からダルマ(法)による統治に転換
→ダルマを刻んだ石柱碑・磨崖碑を各地に建立 - 仏教の保護
→第3回仏典結集(各地の仏僧が集まって行われるブッダの教えの確認)
王子を派遣してスリランカに布教
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マウリヤ朝衰退
イラン系民族のクシャーナ人がクシャーナ朝をひらく(首都:プルシャプラ)
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クシャーナ朝最盛期
王:カニシカ王
この時代の出来事・当時の文化:
- 第4回仏典結集
- ガンダーラ美術
→仏像がつくられていく - 大乗仏教(出家した人だけでなく万人が救済されると考える仏教)の成立
ナーガールジュナが理論を確立
※大乗仏教と反対に、出家してブッダの教えを悟った人だけが救済されると考える仏教は上座部仏教ということもおさえておきましょう。
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クシャーナ朝滅亡
チャンドラグプタ1世(中国名は超日王)がグプタ朝をひらく(首都:パータリプトラ)
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グプタ朝最盛期
王:チャンドラグプタ2世
この時代の出来事・当時の文化:
- 中国の東晋の僧である法顕が来る
(行きは陸路、帰りは海路ということもポイント)
帰国後、法顕は『仏国記』を著す - グプタ様式の美術が繁栄
(例:アジャンター石窟寺院) - 叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の完成
宮廷詩人カーリダーサは戯曲『シャクンタラー』を著す - ヒンドゥー教の完成
(ブラフマー(創造の神)、シヴァ(破壊の神)、ヴィシュヌ(世界維持の神)を三大神とする多神教)
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グプタ朝滅亡
ハルシャ=ヴァルダナ(中国名は戒日王)がヴァルダナ朝をひらく(首都:カナウジ)
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ヴァルダナ朝最盛期
王:ハルシャ=ヴァルダナ
この時代の出来事・当時の文化:
- 唐から僧がインドに来る
玄奘…帰国後、『大唐西域記』を著す
義浄…帰国後、『南海寄帰内法伝』を著す
※玄奘は行きも帰りも陸路、義浄は行きも帰りも海路だったこともポイントです。