この問題でおさえておきたいこと
第一次世界大戦に敗れた国が結んだ条約を整理しよう!
国際協調で行われた会議や結ばれた条約は内容もおさえよう!
解答
① あ ② う ③ え
④ い ⑤ え ⑥ あ
⑦ い ⑧ い ⑨ う
解説
B メッカからメディナに移住したことをヒジュラと呼びます。このヒジュラが起こった622年は、イスラム暦では紀元元年となっています。
D アブー=バクルは初代カリフの名前です。
E バグダードはアッバース朝の都の名前です。
(1)経典に関連して、ムハンマドは、キリスト教やユダヤ教の経典も、イスラム教にさきだつ神の啓示の書とみなしていたことから、キリスト教徒やユダヤ教徒のことを啓典の民とよんでいました。
(3)シーア派に対して、スンナ派と呼ばれている宗派があります。シーア派は少数派ですが、スンナ派はイスラム教徒の9割を占めるぐらいの多数派です。
ポイントのまとめ
・ヴェルサイユ体制の成立と、敗戦国への講和条約
パリ講和会議で戦勝国の代表が、ドイツとの講和条件について話し合い
(アメリカの代表:ウィルソン大統領、イギリスの代表:ロイド=ジョージ、フランスの代表:クレマンソー)
※このとき、ウィルソンは十四カ条を提唱し、民族自決や国際平和機構の設立などを唱えたこともおさえましょう。
←これが後の国際連盟設立に大いに貢献します。
↓
敗戦国が結んだ講和条約
ドイツ |
ヴェルサイユ条約 |
・ドイツは海外の植民地を全部失う |
オーストリア |
サン=ジェルマン条約 |
・イストリア・トリエステ・南チロル(=未回収のイタリア)をイタリアに割譲 |
ブルガリア |
ヌイイ条約 |
重要事項はとくになし |
ハンガリー |
トリアノン条約 |
重要事項はとくになし |
トルコ |
セーヴル条約 |
・イラク・ヨルダン・パレスチナをイギリスの委任統治領にする |
・国際協調と軍縮の流れ
①国際協調
・1925年のロカルノ条約 (=ドイツと英仏などの相互不可侵条約)
↓
1926年にドイツが国際連盟に加盟し、国際社会に復帰
・1928年の不戦条約
(アメリカ国務長官のケロッグとフランス外務大臣のブリアンが提唱)
②軍縮
・ワシントン会議(1921年~1922年)
成果
1.海軍軍備制限条約→主力艦の保有比率を米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67に決定
2.九カ国条約→中国の主権尊重・領土保全を協定、日本は対中国21か条要求を廃棄
3.四カ国条約→日本の日英同盟を破棄
・ロンドン会議(1930年)
成果
補助艦の保有比率を米:英:日=10:10:7に決定