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この問題でおさえておきたいこと

源氏のかわりに北条氏が権力を握っていった過程、承久の乱により、朝廷や天皇側が幕府より下位に置かれた詳細をおさえよう!

解答
1.エ   2.エ   3.ア
4.イ   5.イ   6.ウ
7.エ   8.イ   9.ウ

解説

1.ある人物の追討を命じていることと、「関東の成敗と称し、~将軍の名を帯すと雖も、猶もって幼稚の齢にあり」という文章があることから、この史料は承久の乱についての史料とわかります。空欄①に入る、承久の乱の追討対象となっていたのは、当時の幕府の執権である北条義時です。

アの文は平忠常、イの文は平清盛、ウの文は平忠正についての説明です。ちなみに、エの文にある「有力対抗者を滅ぼして政務と軍事の要職を手中におさめた」というのは、「ポイントのまとめ」にある和田合戦のことですね。

2.承久の乱にて北条義時を討つことをめざした朝廷側の人物ですから、後鳥羽上皇ということになります。

3.空欄③の直前に「諸国庄園」とあるので、国ごと・荘園ごとにおかれた役職だと推測できます。それに適合するのはアということになります。

ちなみに、イは荘園の荘官、ウは国衙領の管理者、エは治安維持のためにおかれた役職です。

4.ここまでの問題を解いて、発令者は後鳥羽上皇、宛先は五畿内の守護・地頭とわかったので、その説明になっているものを選びます。

アの文は三善康信についての説明です。ウの文は奥州藤原氏についての説明で、承久の乱のころにはすでに滅んでいます。エの文は畿内5か国に加え、東海道・奥州道を含んでいる(=全国となっている)部分が、「五畿内」であることとくいちがっています。

5.「諸国の庄園郷保に補せらるるところの地頭」、「加徴」という文言より、この史料にある「去々年兵乱」とは承久の乱であることが推測できます。これにより、下線部④の「地頭」とは、承久の乱の後に任じられた地頭ということになるので、新補地頭ということがわかります。

6.「田畠各十一町」とあるので、「ポイントのまとめ」にもあるとおり、11町のうち1町が新補地頭の取り分である免田になるという知識と照らし合わせると、空欄⑦には「一町」が入ると推測できます。空欄⑦に入るものを「一町」としている選択肢が1つしかないので、自動的に正解の選択肢はウとなります。

7.「国司」と並列されている語句ですので、空欄⑥に入るのは「荘園領主」ということになります。ちなみに、実際の史料では「領家」となっています。

8.「ポイントのまとめ」にもあるとおり、1段ごとに5升の加徴を取り分にできるんですから、3段だと5升×3 = 15升 = 1斗5升の加徴となります。

9.承久の乱前後の執権は北条義時でしたので、下線部⑨が指し示す人物は北条義時です。これがわかれば、下線部⑩が指し示す人物がわからなくても選択肢をウにしぼることができます。

ちなみに、下線部⑩の人物である北条時房は、承久の乱後に設置された六波羅探題に北条泰時とともに就任しました。

ポイントのまとめ

・北条氏の台頭

源頼朝が死去、長男の源頼家が2代目将軍に就任

カリスマ性のうすれた源氏に対して御家人が反発、有力御家人13人による合議制で政務

北条時政(頼朝の妻北条政子の父)が勢力を伸ばす
頼家の後見である比企能員を討ち、頼家を修善寺に幽閉・暗殺
頼朝の次男源実朝を3代目将軍に任命

1205年 北条義時(北条時政の子)が政所別当に就く
1213年 和田合戦により侍所別当和田義盛を滅ぼす
→2つの別当を兼ねる執権を確立して権力強化

北条氏が権力をにぎる執権政治がスタート

・承久の乱

1)背景

※皇族を将軍候補に迎えることができなかったため、幕府は源頼朝の遠縁にあたる藤原頼経を京都から迎えました。藤原頼経のことを摂家将軍ともいいます。

2)結果

1221年 将軍暗殺を好機とし、後鳥羽上皇が執権の北条義時を討つため挙兵
承久の乱が始まる

北条政子は源頼朝の「御恩」を御家人に訴えることで北条氏のもとに御家人を結集させた

幕府側の勝利

※天台座主の慈円は、朝廷に『愚管抄』という歴史書を献上し、後鳥羽上皇の挙兵の動きを思いとどまらせようとしました。

3)その後の幕府の対応

①朝廷側の処罰

②朝廷の監視

京都守護に代わり、六波羅探題を設置し、朝廷の監視と西国の御家人の統括にあたらせる

③没収した朝廷の土地に地頭を設置

幕府が没収した土地に、承久の乱で活躍した御家人を地頭(新補地頭)に就任させる
(承久の乱以前から任じられていた地頭は本補地頭という)

新補地頭の得分規定として新補率法を制定