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この問題でおさえておきたいこと

女性史がテーマの問題では近代の女性解放運動が頻出!
古代の女性天皇や女性が残した文学、中世の北条政子や日野富子もねらわれる!

解答
1 ア
2 イ
3 エ
4 A…野郎   B…芳沢あやめ
5 オ
6 エ
7 エ
8 雇用機会均等

解説

1 阿倍比羅夫を東北地方に派遣したときの天皇は皇極天皇ではなく斉明天皇です。皇極天皇は重祚して斉明天皇になりましたが、皇極天皇は645年の乙巳の変で退位しています。その後、孝徳天皇のころに東北地方への征服が本格化したという流れがあったことから、斉明天皇と判断できます。

ちなみに、ウの選択肢について、天智天皇の皇女は元明天皇ともう一人持統天皇がいます。難関大学の入試では7~8世紀の女帝のこのような系図の知識が必要になる問題が出題されることがありますので、資料集などで確認しておくとよいでしょう。

2 藤原良房がついたのは関白ではなく摂政です。関白については、光孝天皇が即位するときに基経が初めて任じられました。

ちなみに、アの選択肢について、藤原不比等の娘である宮子が天皇家に嫁いで生まれたのが首皇子(聖武天皇)であり、藤原不比等のもう一人の娘である光明子が彼のもとに嫁ぎました。

3 日野富子の夫の弟の名前は義尚ではなく義視が正しいです。エの選択肢にある義尚は日野富子の実の子の名前です。

4 空欄Aに関連する内容として、女性による歌舞伎を女歌舞伎,少年たちが演じる歌舞伎を若衆歌舞伎といいます。問題文にあるとおり、どちらも幕府により禁止されました。

そして空欄Bに関連する内容になりますが、同時代に活躍した歌舞伎俳優として、江戸の俳優で立廻りを主とした荒事を得意とする市川団十郎,上方の俳優で恋愛を主とした和事を得意とする坂田藤十郎がいます。

5 ア:「めぐりあひ」は二葉亭四迷がツルゲーネフの作品を翻訳したものです。樋口一葉の作品ではないので、この文は誤りです。

イ:この文も誤りです。『みだれ髪』ではなく『明星』が正しいです。『みだれ髪』は与謝野晶子による歌集です。

ウ:津田梅子の留学先はイギリスではなくアメリカです。よって、「渡英した」としているこの文は誤りです。

エ:松井須磨子と島村抱月が結成したのは文芸協会ではなく芸術座です。文芸協会は坪内逍遥と島村抱月が結成しました。この文も誤りです。

オ:この文は正しいです。三浦環は日本ではじめて国際的に有名になったオペラ歌手で、「蝶々夫人」の主役として活躍しました。

6 ア:青鞜社はもとは女性の文芸団体でした。しだいに婦人問題を取り上げるようになりましたが、女性参政権運動に取り組んだとするのは誤りです。

イ:たしかに与謝野晶子と平塚らいてうの間で母性保護論争が展開されましたが、与謝野晶子は雑誌『青鞜』に対しては批判的ではありませんでした。よって、この文は誤りです。ちなみに、母性保護論争で、平塚らいてうは妊娠・出産・育児にあたる女性は国家により保護されるべきであると説きました。一方、与謝野晶子は女性の経済的自立を主張し、国家による保護を排すべきとしました。

ウ:婦人参政権獲得期成同盟会(婦選獲得同盟)は1940年に解散となりましたので、1945年の敗戦まで運動をつづけたわけではありません。この文も誤りです。

エ:赤瀾会は1921年に山川菊栄らによって結成された社会主義団体で、ほどなく弾圧・解散させられました。よって、この文の内容は正しいです。

オ:山川菊栄は社会主義者でしたので平塚らいてうや市川房枝とは立場を異にしており、新婦人協会に参画していませんので、この文は誤りです。ちなみに、新婦人協会は1920年に結成され、女性の政治集会参加を禁止した治安警察法を改正させることに成功しました。

7 ②:1925年の普通選挙法により財産制限が撤廃されましたが、有権者は20歳以上ではなく25歳以上の男性とされていました。

③:女性の政治集会への参加を禁止したのは集会条例ではなく治安警察法でした。

⑤:治安警察法の改正により、女性が政治集会へ参加することは認められましたが、女性の政治結社は認められてはいませんでした。

よって、正しいものは①・④の2つです。

8 男女雇用機会均等法には、定年・退職・解雇における男女間での差別禁止規定がもうけられています。企業には、募集や採用において女性にも均等に機会を提供するよう努める努力義務を課しています。