この問題でおさえておきたいこと
江戸幕府が大名・朝廷・寺社をどのように統制したのかを、武家諸法度や禁中並公家諸法度など法令を軸にして具体的な中身をおさえよう!
解答
問1
1 …③ 2 …⑤
3 …⑩
問2
4 …諸士法度 5 …学問
6 …武家伝奏 7 …諸宗寺院
8 …諸社禰宜神主
問3
(1)一国一城令
(2)①
(3)以心崇伝(金地院崇伝)
(4)③
(5)③
解説
問1
武家諸法度は史料問題の題材になることがありますが、とくにこの問題で出題された部分は、武断政治から文治政治への転換を示すものとしてよく取り上げられます。資料集などでよく確認しておくようにしましょう。
問2
4 旗本や御家人を統制した法令は諸士法度です。難関大学入試レベルの細かい知識を問うもので難しい問題だといえるでしょう。諸士法度には、忠孝をはげまし礼法を守ること、軍役の負担、末期養子の禁などが記されています。
5 禁中並公家諸法度で最初に強調されているのが天皇の学問についてです。ここでの学問とは先例に関する知識のことです。禁中並公家諸法度では、このほかにも、武家に官位を与える権限や、改元は幕府の統制下にあることなどが規定されています。
6 朝廷と幕府の間の交渉を担う官職が問われたら武家伝奏を想起していいでしょう。武家伝奏は公家から2名選出されました。
7 「諸宗派を越えて」とあることが決め手となって諸宗寺院法度だと判断できます。寺院法度(諸宗諸本山法度)と考えた人もいるかもしれませんが、寺院法度(諸宗諸本山法度)は1601年に高野山に対して出したものを最初に、1616年までに各宗派の大寺院に対して個別に出した法度の総称です。
8 諸社禰宜神主法度は諸宗寺院法度と同じ年に出されました。社殿の修築、神領の売買禁止などが定められました。
問3
(1)大坂の陣の後、戦乱の世が終わったことを宣言したことを背景に、江戸幕府は大名に、自分が住んでいる城以外の城を破却するよう命じました。これにより、大名の軍事力削減をはかったわけです。
(2)福島正則は関ヶ原の戦いにおいては東軍で活躍しました。しかし、豊臣秀吉と親しい関係にあったため、幕府から警戒されていました。
(3)「ポイントのまとめ」にもあるとおり、禁中並公家諸法度の起草に関わったのは以心崇伝(金地院崇伝)です。彼はほかにも、武家諸法度(元和令)や諸宗寺院法度の起草にも関わりました(「ポイントのまとめ」にも記載しています)。
(4)下線部(エ)でふれられているのが紫衣事件です。この事件で流罪となったのは「ポイントのまとめ」にもあるとおり、沢庵宗彭です。ちなみに、この事件で即位することとなった明正天皇は、称徳天皇以来の女帝です。明正天皇のほかに、江戸時代の女帝には、最後の女帝である後桜町天皇がいます。
(5)①:「ポイントのまとめ」のとおり、キリスト教とともに信仰を禁じられたのは日蓮宗不受不施派であって、一向宗ではありません。
②:神職も檀那寺の檀家として寺院に登録しなければなりませんでしたので、除外されませんでした。
③:この文の内容は正しいです。絵踏は1629年ごろに長崎で始まりました。島原の乱は1637年に起こりましたので、それより前ということになります。
④:陰陽道と修験道は幕府から禁止されませんでした。
ポイントのまとめ
・大名の統制
1)定めた法令
- 一国一城令(1615年)…
領国内にある大名の居城以外の城を全部破却するよう命じた - 武家諸法度(元和令)(1615年)…
将軍が秀忠のときに制定。以心崇伝(金地院崇伝)が起草。
新規の築城、幕府に無断での婚姻を禁止。 - 武家諸法度(寛永令)(1635年)…
将軍が家光のときに制定。林羅山が起草。
参勤交代を義務づけ、大名は1年ごと(対馬藩は3年ごと)に江戸と国元を往復。
2)義務
- 手伝普請…河川の改修など土木工事の負担
- 軍役…戦乱の際に軍事力や兵糧を提供する義務
3)大名の処罰
- 切腹…最も重い処罰
- 改易…大名の領地を没収して地位を奪う
- 減封…大名の領地を削減する
- 転封…大名の配置換えをさせる
※改易された大名は、幕政がまだ安定していない江戸時代初期に多いです。徳川秀忠と関係が悪く暗殺計画をたてた宇都宮藩の本多正純や、幕府に無届けで築城した広島藩の福島正則が例に挙げられます。
4)家臣の統制
江戸時代初期では、大名は自分の領地を分割して有力武士に与えて、その領域の土地・人民支配を認めるという地方知行制がとられた。
↓
一国一城令で藩内の支城がなくなると有力武士は弱体化し、大名に対抗できなくなり、大名の家臣団として藩政を分担するようになる。
↓
地方知行制は消滅していき、領地の支配権ではなく、その領地の年貢米を支給した。
この支給制度を俸禄制度という。
・朝廷の統制
1)監視
京都所司代が朝廷の守護・監視をおこない、武家伝奏が朝廷・幕府間の交渉を担当した。
2)法令など
1615年 禁中並公家諸法度制定(以心崇伝(金地院崇伝)が起草)
天皇が修得すべき徳目などを規定し、朝廷を統制
この法令や幕府の権限が天皇の勅許よりも上位だと示された例が紫衣事件(1627~1629年)である。
※紫衣事件
内容:後水尾天皇が幕府の許可なく僧に紫衣を与える勅許を出したが、幕府がその勅許を取り消した。
結果:取り消しに抗議した僧の沢庵宗彭は配流、後水尾天皇は明正天皇に譲位
朝廷と幕府の間の窓口として武家伝奏を設置
・寺社の統制
1)統制する官職
寺社奉行が全国の寺社や寺社領を管理した。
2)法令
- 寺院法度(諸宗諸本山法度)(1601~1616年)…
各宗派の本山・本寺に自分の宗派の末寺を傘下に置かせて管理させる(本末制度)。 - 寺請制度…
寺院に戸籍を作らせて民衆を檀家として寺院に登録させ、宗旨人別帳(宗門改帳)に記載させる。
民衆に宗門改という宗教調査をし、寺請証文を発行してキリシタンでないことを証明する(結婚や旅行には寺請証文が必要となった)。 - 諸宗寺院法度(1665年)…
全国のすべての寺院・僧侶を対象にした統制令で、以心崇伝(金地院崇伝)が起草した。 - 諸社禰宜神主法度(1665年)…
神社を対象にした統制令で、神領の売買禁止などを規定した。
3)禁教
キリスト教と日蓮宗不受不施派(ほかの宗派などの信者からは供養や供物を受けないが、供養も施さないという宗派)を禁止した。
※17世紀半ばに、明の僧である隠元隆琦により伝えられた黄檗宗が新しい宗派として登場しました。この宗派については、江戸幕府も許容しました。