この問題でおさえておきたいこと
古代や江戸時代の官道、中世・近世における交通制度と運送業者名や航路名、そして近代以降の交通網の整備を確認しよう!
解答
1 ウ・オ 2 エ 3 伝馬 4 エ
5 ウ 6 人力車 7 ウ 8 イ
解説
運輸・交通史についてのテーマ史の問題です。早稲田大学ならではの、相当レベルの高い問題もあり、難易度としては難しいほうに入ると思われます。とくに早稲田大学を志願している人は、過去問を使ってしっかり問題演習をし、大学対策をしておくことが必要です。
1 基本的な問題なので、正解しておきたい問題です。七道は東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の7つなので、北海道と中山道が誤りとわかります。とくに中山道は江戸時代に整備された五街道の一つです。
ちなみに、江戸時代に整備された五街道は東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中でしたね?
2 鎌倉時代から畿内や西日本で牛馬耕がされるようになり、そして米と麦の二毛作もされるようになりましたので、エが誤りです。アやイの文の内容は知らなければ正誤が判断できませんが、牛馬耕の知識を使えば、誤文を一つ見つければよいので、あまり考えこまずに解くことができると思われます。
3 伝馬役は街道周辺の農民に対して、公用の通行に使う人馬を提供する義務を課したことのことです。ちなみに、街道上での宿泊施設や人馬の中継所を宿駅(宿場)といい、伝馬が不足したとき補うように指定された村の負担を助郷役といいます。
これに関連してですが、古代の律令制度では駅制がありました。七道それぞれに京と国府(国衙)をつなぐ駅路という道がひかれ、駅鈴を交付された使者が馬を乗り継いで情報を伝達しました。そして、駅路から離れて国府(国衙)と郡家をつなぐ伝路という道もあり、郡家ごとに伝馬という官馬が常備されていました。
4 ア:松前船ではなく北前船が正しいので、この文は誤りです。
イ:樽廻船が登場したのは18世紀後半です。よって、「江戸時代初期」という時期とちがいますので、この文も誤りです。樽廻船と菱垣廻船の登場時期は重要なので、ぜひおさえておきましょう。
ウ:樽廻船は十組問屋とは連携していませんので、これも誤りの文です。ただし、受験生にとってはかなり難しい正誤判断ではないかと思われます。
エ:河村瑞賢によって、東廻り航路(東北地方の酒田から本州の東側を廻って江戸までつなぐ)と西廻り航路(酒田から本州の西側を廻って大阪までつなぐ)が整備されましたので、この文は正しいです。
オ:南海道ではなく南海路が正しいので、この文は誤りです。
5 ア:最初の鉄道は有楽町―横浜間ではなく、新橋―横浜間に敷設されました。よって、この文は誤りです。
イ:日本鉄道会社は華族などが金禄公債証書で出資していますので、外国資本によって設立されたわけではありません。この文も誤りといえます。
ウ:株式会社設立ブーム(企業勃興)の時期がおよそその頃であり、正しい文です。ただ、九州鉄道や山陽鉄道といった企業名が出ていることで正しいと判断するのは難しかったかと思われます。
エ:たしかに鉄道国有法でほとんどの鉄道が国有化されましたが、すべての鉄道が国有化されたわけではなく、地方の鉄道は民営でしたので、この文も誤りです。この文の正誤を判断するのも非常に難しかったと思います。
オ:乗合馬車はたしかにありましたが、レールの上を走るのではなく、現在のタクシーのように不特定多数の客を馬車が乗せるというものにすぎません。「レールの上を馬車が走る」という部分で誤りとすることができます。
6 文明開化期から使われるようになり、駕籠を衰退させた乗り物が入ると考えられるので、人力車と考えることができます。
7 二・二六事件は陸軍内部の不祥事と認識されたので、陸軍内の統制が強まりました。それにより、二・二六事件以降、テロは下火になっていきますので、ウが誤りです。
8 ア:15パーセントではなく10パーセントが正しいので、この文は誤りです。
イ:高度経済成長期の開放経済体制への移行が説明された文であり、内容も正しいです。
ウ:第三次産業の就業比率も伸びましたため、この文の内容は誤りです。
エ:「バブル景気」は1980年代から始まった好景気のことですので、高度経済成長期と時期がちがいます。よって、この文は誤りです。
オ:高度経済成長期は1973年までですが、東北・上越新幹線はその時期には開通していません。東海道・山陽新幹線以外は日本列島改造計画にもとづいて高度経済成長期が終わってから営業を開始しています。なので、この文は誤りです。
なお、この早稲田大学の問題では出題されていませんが、中世・近世のころの運送業者をあらわす用語をおさえておきましょう。
鎌倉時代には物資の輸送や保管・委託販売などに従事していた問(問丸)があり、室町時代になると馬借や車借という運送業者が現れました。そして、江戸時代では運輸通信業者として、幕府が直接運営する継飛脚や町人がはじめた町飛脚などがありました。