この問題でおさえておきたいこと
倭の五王はどの天皇に該当と考えられているか、当時の東アジアとどのような外交関係にあったかをおさえる!
とくに武は推定の根拠となる史料や中国から与えられた称号も重要!
解答
問1 ( ア )…④ ( イ )…②
問2 (A) ③ (B) ③
問3 (A) ⑥ (B) ④
問4 (A) ① (B) ⑥
問5 (A) ⑥ (B) ④
解説
問1 倭の五王は5世紀の人物です。問題文では( ア )の世紀については不明点が多いとありますが、つづきに「次世紀に入る前後」から、倭の五王が登場するとあるので、5世紀の前の世紀である4世紀が( ア )の世紀だといえます。( イ )については「ポイントのまとめ」の説明が参考になると思います。
問2 (A) 「ポイントのまとめ」にあるとおり、倭の五王が登場する中国の歴史書は『宋書』倭国伝です。
(B) 「ポイントのまとめ」の「倭の五王と天皇」の項目にない天皇は崇神天皇だけです。よって、③が正解といえます。
問3 (A) 稲荷山古墳は埼玉県にあります。ちなみに、武についての出土品があったもうひとつの古墳である江田船山古墳は熊本県にあります。
(B) 埼玉古墳群で国指定史跡となっている9基のうち、稲荷山古墳をふくむ8基が前方後円墳となっています。
問4 (A) 辛亥は干支の表記です。干支は十干と十二支を組み合わせて年を数える年紀法です。十干は10年で、十二支は12年で一巡しますので、2つを組み合わせた干支は60年で一巡します。よって、1世紀(100年間)のうち、その干支の年になるのは最大2回ということになります。
(B) 倭の五王は5世紀の人物ですが、選択肢のなかで5世紀のものは「471年」しかありません。よって、⑥が正解といえます。
問5 (A) 「ポイントのまとめ」にある説明を参考にすると、⑥が正解と判断することができるでしょう。ちなみに、珍・興・済は安東将軍・倭国王の称号が認められました。
(B) 「ポイントのまとめ」を参照してください。
ポイントのまとめ
・倭の五王より前の時代のヤマト政権と朝鮮半島
朝鮮半島にはいろいろな国が分立していた
北部…高句麗
南部…百済(馬韓から変化)、新羅(辰韓から変化)、加耶(加羅)諸国(弁韓から変化)
当時のヤマト政権との関係を見ると…
密接な関係を持った国…
1.加耶(加羅)諸国(半島南部の鉄資源の確保のため)
2.百済(百済王は倭王に七支刀を贈り、国交を結ぼうとした)
敵対的関係を持った国…
高句麗(南下策をとり、百済・加耶諸国と関係をもったヤマト政権とも衝突)
391年のヤマト政権と高句麗の交戦の様子が、好太王碑の碑文に記されている
・倭の五王と東アジア
ヤマト政権は朝鮮半島での軍事・外交上の立場を有利にするため、中国と関係を持とうとした
↓
『宋書』倭国伝によると、ヤマト政権の5人の王讃・珍・済・興・武(倭の五王)が5世紀初めから中国の南朝に相次いで朝貢
↓
倭の五王の武は、過去の征服の事実を中国の南朝に報告し、南朝から安東大将軍の称号を獲得
・倭の五王と天皇
倭の五王それぞれは、親子関係や兄弟関係より、以下の天皇にあたると推測されている
讃…応神天皇または仁徳天皇または履中天皇
珍…仁徳天皇または反正天皇
済…允恭天皇
興…安康天皇
武…雄略天皇
とくに武については、稲荷山古墳出土の鉄剣や江田船山古墳出土の鉄刀に刻まれたワカタケルをあらわす漢字表記(獲加多支鹵大王)が根拠となっている