この問題でおさえておきたいこと
3回にわたる日韓間の協約について、それぞれの内容を細かくおさえよう!
解答
問1 B 問2 A 問3 B
問4 E 問5 B 問6 B
問7 D 問8 A 問9 東洋拓殖
問10 E
解説
問1 「ポイントのまとめ」を参照すると、Bが正解と判断できます。ちなみに、A・Eは日韓議定書、Dは第2次日韓協約で取り決められました。Cについては、「統監の同意を得て官吏を任命する」として第3次日韓協約で取り決められました。
問2 アメリカは米西戦争でスペインに勝利し、それまでスペインの植民地であったフィリピンを奪いました。桂・タフト協定は、日本の韓国統治と、アメリカのフィリピン統治を相互に承認したものです。こうして日本は韓国支配をアメリカに認められたのです。
問3 漢城は大韓帝国の首都の名前で、現在のソウルに至っています。
問4 A:「ポイントのまとめ」にあるとおり、万国平和会議に密使を送ったのは純宗ではなく高宗です。
B:ハーグというのは万国平和会議が開かれた都市名であり、オランダ人の名前ではありません。また、高宗が密使として送ったのはオランダ人ではなく韓国人です。
C:高宗からの密使は万国平和会議に参加することができませんでした。
D:この事件の後、密使を送った高宗は退位させられ、日本の手によって純宗が即位しました。よって、「高宗」と「純宗」が逆です。
E:「皇帝が密使を送った会議」は1907年6月の万国平和会議のことなので、この文は正しいです。
問5 第3次日韓協約は1907年に締結されました。1901年から12年間は桂園時代でしたので、AかBにしぼられます。1906年に鉄道国有法を制定したのは第1次西園寺公望内閣、1908年に戊申詔書を発布したのは第2次桂太郎内閣なので、そこから西園寺公望だと判断するとよいでしょう。
問6 ( カ )に入るのは「ポイントのまとめ」にあるとおり、安重根です。伊藤博文はロシアの要職と会うためにハルビンにいましたが、安重根が彼を暗殺した際、ロシア兵に取り押さえられました。その後、日本に引き渡され、死刑となりました。よって、その場で憲兵に射殺されたのではありません。
問7 A:「ポイントのまとめ」にあるとおり、日本側は統監が署名したので、「両国の内閣総理大臣」というわけではありません。
B:日韓併合条約は1910年に結ばれ、工場法は1911年に制定されましたので、この文は誤りです。
C:併合されたのは大韓帝国なので、「大韓民国」ではありません。大韓民国は第二次世界大戦後に成立しました。
D:当時の大韓帝国の首相は李完用であり、そしてこの文の内容は正しいです。
E:統監府に代わって朝鮮総督府が設置されたので、統監府が行政をつかさどることはもうありませんでした。
問8 ( ク )に入るのは「ポイントのまとめ」にあるとおり、寺内正毅です。寺内正毅内閣は、1918年にロシア革命介入のためにシベリア出兵を行いました。よって、正解はAです。
ちなみに、治安警察法を施行したのは第2次山県有朋内閣、二十一カ条の要求提出や第4次日露協約調印は第2次大隈重信内閣、普通選挙法・治安維持法を制定したのは加藤高明内閣です。
問9 「ポイントのまとめ」を参照してください。
問10 〔史料イ〕には「法令の制定」や「行政上の処分は予め統監の承認を経ること」など、内政権を接収する内容が書かれているので第3次日韓協約です。〔史料ロ〕は「韓国全部に関する一切の統治権」を日本に譲ることが書かれているので韓国併合条約だと判断できます。
〔史料ハ〕には韓国政府が「国際的性質を有する何等の条約若は約束をなさざる」とあることから外交権を接収したこと、統監を置くことが書かれているので、「ポイントのまとめ」より第2次日韓協約と判断できます。
ポイントのまとめ
・韓国併合の流れ
1904年 日露戦争中に日韓議定書をかわす
韓国保全のためとして、日本軍の韓国内での自由行動、日本軍に対する軍事上の拠点提供が決められる
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1904年 第1次日韓協約
決められたこと
- 韓国の財政権を日本が接収
- 日本が推薦する財政・外交顧問を韓国政府内に置く
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1905年 第2次日韓協約
決められたこと
- 韓国の外交権を日本が接収=韓国の保護国化
- 統監府を設置し、日本が外交権を行使
※統監府の初代統監には伊藤博文が就任しました。
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1907年 ハーグ密使事件
大韓帝国皇帝の高宗が、オランダのハーグで開かれた万国平和会議に密使を送り、日本の行為を提訴したが、拒絶された
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1907年 高宗を退位させ第3次日韓協約締結
決められたこと
- 韓国の内政権(法令の制定、行政上の処分など)を日本が接収
- 大韓帝国軍の解体、警察の解散
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解体された韓国軍の兵士による抵抗運動(義兵闘争(運動))が活発化
伊藤博文が朝鮮人安重根によって満州のハルビンで暗殺
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1910年 伊藤博文の暗殺を受けて韓国併合条約締結
日本の全権は統監の寺内正毅、大韓帝国の全権は首相の李完用
決められたこと
- 日本政府は朝鮮を日本全土に編入
- 朝鮮総督府が朝鮮統治
※朝鮮総督府の初代総督には寺内正毅が就任しました。また、韓国併合にともない、首都の漢城は京城へと改名されました。
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朝鮮総督府による土地調査事業
韓国の拓殖事業推進のために東洋拓殖株式会社を設立
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朝鮮の小農民の没落、一部は日本に移住