この問題でおさえておきたいこと
近代以前では尚巴志の琉球王国建国、島津氏による征服、謝恩使と慶賀使の派遣が重要ポイント!
近代以降は琉球処分など沖縄を日本領にした経緯や、沖縄戦・基地問題がねらわれる!
解答
問1 ① 問2 ① 問3 ②
解説
問1 X:史料に「那波皆津口 江南・南蛮・日本の船、この浦に入る」とあります。「那波皆津」とは(注3)にあるとおり、那覇港のことです。そして、(注1)より「江南」は中国南部のことで、(注2)より「南蛮」とはここでは東南アジアのことだとわかるので、この文は正しいとわかります。
Y:久米村は(注5)にあるとおり「九面里」と史料では書かれています。「九面里」については、「江南人の家ここにあり」と書いていますから、中国南部の人の家があったことがわかります。よって、この文も正しいです。
問2 この問題については、bとdが誤りです。どの点が誤りなのかは次のとおりです。
b:琉球藩の帰属問題は、下関条約の締結、つまり日清戦争での日本の勝利によって解決をみることになります。よって、日清戦争より前に結ばれていた日清修好条規によって日本への帰属が決まったわけではありません。
d:琉球処分後も、琉球の支配階級による明治政府への反乱を防ぐために旧制度が温存されました(旧慣温存策)。これにより、徴兵などの義務も免除されていましたが、衆議院議員選挙などの権利も与えられませんでした。よって、本土で衆議院議員選挙法が公布された翌年という早い時期に、沖縄県で衆議院議員選挙はされていません。
問3 沖縄がアメリカの施政権下におかれることが確定したのは、1951年のサンフランシスコ平和条約によってであり、日米行政協定によってではありません。このサンフランシスコ平和条約によって、GHQによる統治は終了します。
ちなみに、日米行政協定とは、サンフランシスコ平和条約と同時に調印された日米安全保障条約の施行細則として1952年に締結されました。日本が米軍に基地を提供し、駐留費用を分担することを定めたものです。