この問題でおさえておきたいこと
北条泰時と北条時頼の政策が、何を目的としてされたのか、執権政治の確立にどう関わったのかを軸に理解しよう!
解答(例)
北条泰時は執権を補佐する連署や評定衆を設置して合議制にもとづく政治体制を整え、頼朝時代以来の先例や武家社会の道理を基準に御成敗式目を制定して政治・裁判の基準をつくり、執権政治を確立させた。北条時頼は引付を設置して裁判の迅速化・裁判制度の整備に努め、御家人の支持をとりつけた。さらに皇族将軍をむかえて幕府の権威を向上させ、宝治合戦で三浦泰村一族を滅ぼすことで北条氏の地位を安定のものにし、得宗専制政治への道を開いた。(207字)
解説
「北条泰時および北条時頼が行った政策をあげながら」と問題文にありますから、この2人がどういった政策を行ったのかを述べなければなりません。もちろん、「政治の特徴を述べなさい」とあるので、単なる政策の羅列ではなく、何を目的にされたのか、またはどういった効果があったのかと関連させて述べる必要があります。
ここで、北条泰時と北条時頼が行った政策を洗い出すと、
- 北条泰時
…連署・評定衆の設置、御成敗式目(貞永式目)の制定 - 北条時頼
…引付・引付衆の設置、宝治合戦、皇族将軍(親王将軍)
このようにみると、北条泰時は執権政治の確立・発展をさせ、北条時頼は北条氏一族の権威向上をさせた傾向が強いことがうかがえます。彼らの時代の後になると、得宗専制政治の色合いが強くなっていきます。
そのこともあわせて考えると、2人の政策にどういった傾向があったかについてもふれておくと、字数が200字程度となり、この時代の政治の特徴をより明確に説明できる文となるでしょう。
解答のチェックポイント
- 北条泰時の実績として、連署・評定衆の設置、御成敗式目(貞永式目)の制定を挙げているか
- 北条時頼の実績として、引付・引付衆の設置、宝治合戦、皇族将軍(親王将軍)をむかえたことを挙げているか
- 連署・評定衆の設置は執権と御家人の合議による集団指導体制を目的にされたことを述べているか
- 御成敗式目(貞永式目)の制定は公正な裁判の基準の作成が目的だったことを述べているか
- 引付・引付衆の設置は裁判の迅速化を目的にされたことを述べているか
- 宝治合戦や皇族将軍(親王将軍)をむかえることで、北条氏の権威が向上したことについてふれているか
- 北条泰時の時代の特徴として執権政治の確立・発展がされたことを述べているか
- 北条時頼の時代の特徴として北条氏一族の権威が向上され、これが得宗専制政治へのきっかけになったことを述べているか
ポイントのまとめ
流れ
3代執権北条泰時の政治
- 連署(執権の補佐役)の設置
叔父の北条時房を任命 - 11人の有力御家人からなる評定衆(幕府の意思決定や訴訟の裁決に関わる機関)の設置
これにより、執権・連署とともに合議制で仕事 - 1232年 御成敗式目(貞永式目)を制定
これにより、最初の体系的な武家法典が完成
↓
5代執権北条時頼(泰時の孫)の政治
- 御家人の保護→御家人の支持を集める
- 1247年 宝治合戦で三浦泰村一族を滅ぼす→得宗専制政治のきっかけに
- 評定衆のもとに引付(裁判の迅速化を図って設置された訴訟機関)の設置
- 引付衆(評定衆を助け文書の審理や訴訟の裁決にあたる)の任命
- 後嵯峨天皇の皇子である宗尊親王を皇族将軍(親王将軍)としてむかえる
(ただし将軍に実権はない)
※得宗専制政治の「得宗」とは北条氏の本家という意味です。
御成敗式目(貞永式目)の特徴
- 鎌倉幕府の基本法となった
- 公正な裁判の基準をつくることが目的でできあがった
- 源頼朝時代以来の判例(=先例)や武家社会の慣習(=道理)を基準につくられた