この問題でおさえておきたいこと
社会情勢とのつながりを意識して、啓蒙思想・国粋主義思想・社会主義思想が生まれたことをおさえよう!
解答
問1 ④ 問2 ① 問3 ④
解説
問1 X:江戸幕府は、開国後、海外に留学生を派遣して欧米諸国の文物を学ばせ、国内の近代化に着手しました。幕府が設置した洋書調所の教官がオランダに留学したり、薩摩藩や長州藩も藩士をイギリスに留学させたりしました。
Y:「ポイントのまとめ」にあるとおり、『自由之理』を刊行したのは中村正直です。
問3 『国民新聞』は、徳富蘇峰が出版したものです。『国民之友』のほかにも出版したもので、これも日清戦争後に国家主義に移行する前に出版されました。また、『キング』は大正時代に出版された大衆雑誌です。
ポイントのまとめ
明治初期
…文明開化の影響で西洋の政治思想を紹介
=啓蒙思想
1.森有礼
文化啓蒙団体である明六社を結成
(その団体が発行した雑誌が『明六雑誌』)
2.福沢諭吉
- 『学問のすゝめ』…実学をすすめ、国家の隆盛は学問によって成り立つと主張
- 『文明論之概略』…個人の自主独立と国家の独立には、西洋文明の摂取が急務と主張
- 『西洋事情』…欧米諸国の実情を紹介
3.西周
…幕府の留学生としてオランダに留学し、日本に西洋哲学を紹介
4.中村正直
- 『西国立志編』…イギリス人スマイルズの『自助論』を翻訳し、自立自助の個人主義道徳を主張
- 『自由之理』…イギリス人ミルの『自由論』を翻訳し、個人の人格の尊厳や個性と自由の重要性を強調
5.中江兆民(東洋のルソーともいわれている)
- 『民約訳解』…ルソーの『社会契約論』を翻訳
→自由民権運動に影響
6.加藤弘之
…はじめは天賦人権説(自由・平等は天から与えられた権利だという考え)を主張していたが、後に国家主義思想へと移行
※日露戦争後の時代になると、このような自由主義的傾向を是正するために戊申詔書が発布されました。
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明治20年代
条約改正の過程における極端な欧化政策への反発
1.徳富蘇峰
- 鹿鳴館に代表されるような貴族的・表面的な欧化政策ではなく、国民大衆のレベルからの欧米文化の受容(平民主義(平民的欧化主義))を主張
- 民友社を設立、雑誌『国民之友』を出版し、欧米の社会問題などを紹介
- 日清戦争後の三国干渉に衝撃を受けて国家主義に移行
2.三宅雪嶺・志賀重昂
- 西欧文化を無批判に模倣するのではなく、日本人としての自信を呼び覚まし、日本独自の近代化のあり方を求める国粋保存主義を主張
- 政教社を設立、雑誌『日本人』を出版し、国粋保存主義を主張
3.陸羯南
- 条約改正交渉をめぐる欧化主義政策に反対
- 国民の幸福の前提として、国家の独立・国民の統一が必要であり、個より公共を優先する国民主義を主張
- 雑誌『日本』を出版
4.高山樗牛
- 日本古来の伝統を重視し、列強の帝国主義に対抗して日本の大陸進出を肯定、国民精神の発揚を唱えた日本主義を主張(=欧化主義の反動)
- 雑誌『太陽』を出版
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明治30年代
資本主義が発達、貧富の格差が拡大
→社会主義思想の発達
片山潜・安部磯雄・幸徳秋水らが、日本最初の社会主義政党、社会民主党を結成
その後、禁止されたものの、日本最初の合法的社会主義政党、日本社会党ができる
※幸徳秋水は『万朝報』の記者として活躍しましたが、日露戦争に反対して退社しました。
日露戦争後に渡米し、帰国後は無政府主義を唱え、1911年に大逆事件(無政府主義者が明治天皇暗殺を計画したとされる事件)で処刑されました。