この問題でおさえておきたいこと
元寇については、元の成立過程と日本側の対策の中身をおさえよう!
解答
(1)a 大都 c 異国警固番役 d 文永の役
(2)竹崎季長
(3)江南軍
(4)鎮西探題
解説
(1)dに書かれていた文禄の役は、豊臣秀吉が1592~1596年に行った朝鮮出兵のことです。
名前が似ているので注意しましょう。
ポイントのまとめ
・元の成立過程
チンギス=ハンがモンゴル部族を統一
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金(現在の中国北部に栄えていた国)を滅亡
高麗(=朝鮮)を支配(1258年)
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フビライ=ハンが国号を元と定める
(首都:大都(現在の北京にあたる))
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南宋の支配にも成功→弘安の役に利用
・日本の対応
当時の執権…北条時宗
1274年 文永の役(元軍が対馬・壱岐に侵攻)
日本は元の集団戦法やてつはう(火薬を使った火器)に苦しむ→一時、大宰府の水城にまで退く
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暴風雨により元軍が撤退
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日本の対策強化
- 石塁(石築地)という防塁を博多湾に築く
- 異国警固番役(北九州沿岸防備の軍役)を制度化し、御家人などに課す
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1281年 弘安の役
元寇は東路軍(元と高麗の連合軍)と江南軍(南宋の軍)の二手に分かれて侵攻
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暴風雨により元軍が撤退
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日本の対策強化
鎮西探題(九州の沿岸防備・裁判・一般政務を処理した機関)を設置して防備と九州統治を強化
※肥後熊本の御家人の竹崎季長は、元寇に参戦し、自分が防衛で活躍した様子を『蒙古襲来絵巻(詞)』として描かせたこともおさえておきましょう。