この問題でおさえておきたいこと
1930年代前半の主要内閣は、第2次若槻、犬養、斎藤、岡田、広田の順! それぞれの内閣が何をしたかをおさえよう!
解答
A、E、H、I
解説
それぞれの内閣が何をしたか、それをまとめたものを下にのせてありますので、それもぜひ見てください。
A 満州事変で不拡大方針をとなえたのは犬養内閣ではなく、第2次若槻内閣です。
E 血盟団事件で暗殺された民政党の人は井上準之助です。
団琢磨も暗殺されましたが、彼は三井合名会社の幹部です。
H 矢内原忠雄ではなく、滝川幸辰です。
I ニ・ニ六事件で広田弘毅内閣が成立しました。よって、軍部大臣現役武官制を復活させたのは岡田内閣ではありません。
ポイントのまとめ
第2次若槻礼次郎内閣
- 柳条湖事件(1931年)(関東軍による南満州鉄道爆破事件)
※関東軍は、関東州と満州鉄道の警備を任務としていた軍です - 満州事変
←不拡大方針を軍部が無視 - 三月事件・十月事件
(軍部と右翼が提携して、軍部内閣樹立をはかったクーデタ未遂事件)
↓
犬養毅内閣
- 上海事変
(日本人僧侶殺害事件を口実に出兵した日本軍と中国軍の衝突事件) - 満州国建国
清朝最後の皇帝、宣統帝溥儀を執政とした - 血盟団事件
(井上日召が中心の血盟団という右翼団体が、民政党で前蔵相の井上準之助と三井合名会社幹部の団琢磨を暗殺) - 高橋是清蔵相のもとで、金輸出再禁止=金本位制放棄
円の兌換を停止して、管理通貨制度を実行 - 五・一五事件(1932年)により犬養暗殺
↓
斎藤実内閣
- 海軍大将による内閣=政党内閣の終わり
- 日満議定書をとりかわして満州国を承認
- リットン調査団の報告書により、国際連盟が日本軍の撤退などを勧告
→国際連盟から脱退(1933年)
※このときの日本全権は松岡洋右だったこともおさえましょう
↓
岡田啓介内閣
- 美濃部達吉の天皇機関説を否定する声明(国体明徴声明)発表
- ニ・ニ六事件(1936年)で高橋是清、斎藤実など閣僚が暗殺
※北一輝の思想の影響を受けた、皇道派の陸軍によって起こりました
↓
広田弘毅内閣
- 軍部大臣現役武官制を復活
(軍の要求を受け入れて復活)
ほかにも、政治史では2つのことをここでおさえてください。
- 自由主義・民主主義思想の弾圧
例:滝川事件
(京都帝国大教授の滝川幸辰の免職事件)
※1930年代後半では、矢内原事件が起きます - 陸軍の派閥対立
統制派…合法手段による政権樹立をめざした派
皇道派…直接行動(武力)で政権樹立をめざした派