この問題でおさえておきたいこと
社会主義経済の特徴、社会主義を採用した国がそれを放棄したり資本主義的な政策を採用したりする過程をおさえよう!
解答
問1 ④ 問2 2 …⑥ 3 …④
問3 ④ 問4 ②
問5 グラスノスチ 問6 ゴルバチョフ
問7 経済特区 問8 一国二制度(一国両制度でもOK)
解説
問1 改革開放政策を推し進めた人物は、「ポイントのまとめ」にあるとおり鄧小平です。毛沢東や周恩来は改革開放政策が行われるころにはすでに死去していました。ちなみに、江沢民は1993年に、胡錦濤は2003年に国家主席になった人物です。
問2 2 に入るのは、1979年から中国で始まった政策なので改革開放政策です。「四つの現代化」は1978年に公式に採用されたものであり、これと迷われたかもしれませんが、 2 の後に外資の導入などがふれられていたので、「改革開放政策」のほうが適切です。
3 は1993年に憲法に明記されたことなので、「ポイントのまとめ」にあるとおり「社会主義市場経済」が入ります。社会主義市場経済は改革開放政策を示す重要なキーワードといえるでしょう。
問3 ①:マルクスは、資本主義によって生じる問題は、議会による改革ではなく社会主義革命によってしか解決できないと考えていました。
②:「ドイツの幼稚産業を育成するための保護貿易主義を主張した」のは、マルクスではなくリストです。
③:レーニンが『帝国主義論』を著したのは1917年のことですが、このころにはすでにマルクスは死去していましたので、マルクスが『帝国主義論』を評価したということはありえません。
④:マルクスはエンゲルスとともに『共産党宣言』を1848年に刊行しました。また、マルクスらの指導のもと、第1インターナショナルが結成されました。第1インターナショナルは最初の国際的な労働者組織です。よって、この選択肢が正しいです。
問4 ①:これは計画経済についての説明です。計画経済は「ポイントのまとめ」にあるとおり社会主義経済の特徴の一つです。
②:国家が積極的に市場に介入して、不況などによって引き起こされる問題を軽減・解消しようとするのは、資本主義の枠内で問題を解決しようとする修正資本主義についての記述です。よって、社会主義の姿についての記述としては不適切です。
③:社会主義経済体制では国家による計画経済による運営がなされます。つまり、国家が管理するもとで経済活動がされるため、大規模な景気変動は起こるはずがなく、よって倒産なども起こらないので失業問題は発生しないと考えられていました。
④:これは生産手段の公有化についての説明です。生産手段の公有化は「ポイントのまとめ」にあるとおり社会主義経済の特徴の一つです。
問5 「ポイントのまとめ」を参照してください。
問6 「ポイントのまとめ」にもありますが、ゴルバチョフがおこなった政策として重要なのは、問5で出題されたグラスノスチ(情報公開)以外にも、ペレストロイカ(改革)と新思考外交があります。この3つはセットで覚えておくようにしましょう。
問7 「ポイントのまとめ」を参照してください。
問8 社会主義体制を採る中国に属しているが資本主義的な経済体制を認められているという一国二制度が適用されているのは、香港だけでなくマカオ(1999年にポルトガルから返還)があります。
ポイントのまとめ
・社会主義経済の特徴
資本主義経済が発達していくことによって、貧富の差が拡大
→貧富の差をなくし、全員が平等となるようにと考え出されたのが社会主義経済
(この経済体制を理論的に提唱したのがマルクスである)
社会主義経済には次のような特徴がある
- 計画経済…
どの商品をどれだけ生産するかを政府が決定し、国民はそれに従い、売れ残りがないようにする - 生産手段の公有化…
工場や生産用機械などは資本家ではなく、すべて政府が管理し、国民は全員政府が運営する企業などで働き、給料は政府が国民に平等に与える - 独裁政治…
経済におけるすべてのことを政府が管理するので、政府が非常に大きな力をもつ
このような特徴のおかげで経済的な平等は達成できるが、次のようなデメリットがある
- いくら働いても給料が同じなので、働く意欲が減り、生産性の低下や経済の停滞が起きる
- 政府の計画がうまく機能しないと、品不足や飢饉におちいる
- 独裁政治になり、人権がじゅうぶんに保障されない
・ソ連の崩壊に至る過程
1917年にロシア革命が発生し、世界最初の社会主義国であるソビエト連邦(ソ連)が成立
↓
一時は経済が成長したときもあったが、1960年代以降、経済が停滞
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1985年、ソ連共産党書記長にゴルバチョフが就任、改革をおこないソ連経済の立て直しをはかる
- ペレストロイカ(改革)…
社会主義の枠内で政治・経済上の資本主義的な自由を認める - グラスノスチ(情報公開)…
それまでソ連政府が秘密にしていた情報を国民に開示し、開かれた政治を進める - 新思考外交…
これまでのソ連の外交・軍事を見直し、資本主義国とも協調していく外交路線に転換する
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急激な改革により保守派が反発し、クーデターを起こす
↓
クーデターは失敗したが、ソ連共産党による政権運営の続行は不可能な状態に
→ソ連崩壊、ロシア連邦が成立(=社会主義経済の放棄)
ソ連の影響で社会主義国となった東ヨーロッパ諸国も続々と社会主義を放棄
・中国やベトナムの変化
1)中国
1949年に社会主義国として中華人民共和国が成立、その後経済が停滞
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1970年代、中国共産党トップに鄧小平が就任
1978年に四つの現代化政策により、農業・工業・国防・科学技術を、経済発展の重要目標に設定
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1979年に改革開放政策を実施、資本主義的な自由の要素を取り入れる
例:経済特区を設けて外国企業の進出を認め、外国の技術などを吸収して経済発展に活かす
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1993年には社会主義市場経済を憲法に明記、1997年に返還された香港には一国二制度(中国自身は社会主義体制だが、香港には一定期間資本主義体制を認める)を適用するなど、資本主義的な要素を次々と認める
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めざましい経済発展を達成
例:WTO(世界貿易機関)に加盟(2001年)、多額な対中貿易赤字を抱えるアメリカからの圧力により人民元を切り上げ(2005年)
2)ベトナム
ドイモイ(刷新)政策を実施し、社会主義の枠内で市場経済を導入