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この問題でおさえておきたいこと

古学派は朱子学への批判から始まる!
山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠3人の思想を整理しよう!

解答
問1 ②   問2 ④   問3 ②
問4 ①   問5 ②

解説

問1 ①:人の心を安易に信じてはいけないという考えは、レポートにあった「我よく人を愛すれば、人またよく我を愛す」という記述と相容れません。

②:「ポイントのまとめ」にあるとおり、伊藤仁斎は仁や愛を重視し、それを支えるのが真実無偽の心である誠だとしていました。このことと非常に合った内容がこの選択肢です。

③:私利私欲を厳しくつつしまなければならないとする考えは、朱子学の存心持敬の立場です。

④:「上下関係の秩序を重んじ」とありますが、これは上下定分の理を説いた朱子学者の林羅山の立場です。

問2 ①:これは山崎闇斎について説明した文です。

②:山鹿素行は朱子学を批判した立場の人物でしたから、朱子学の説く理を道徳の基礎として重視したとは考えにくいです。

③:後半の部分が山崎闇斎についての説明になってしまっています。

④:前半の部分については、山鹿素行は朱子学を批判した立場だということに合致しています。後半の部分についても、直接原典にあたるべきと古学派のさきがけになったという「ポイントのまとめ」の説明と合致します。よって、この選択肢が正しいです。

問3 ①:林羅山の上下定分の理のように、当時の朱子学は士農工商の身分秩序を理論的に正当化していました。よって、易姓革命を説くような、社会の大変革を起こすような主張はしていません。

②:伊藤仁斎など古学派の人々は、当時の朱子学を観念的・形式的なものにすぎないと批判し、日常生活での実践を重視しました。伊藤仁斎は孔子の教えの根幹である仁や愛の実践を説きました。このことを考えると、この選択肢が一番正しいです。

③:「愛敬を重んじた」というのは陽明学中江藤樹の立場です。

④:知行合一を説いたのも陽明学の中江藤樹です。

問4 ①:「ポイントのまとめ」にもあるとおり、荻生徂徠は当時の中国語で直接原典を読んで先王の道を知り、古代の為政者のつくった礼楽刑政を整備すべきと説きました。この選択肢が一番正しいです。

②:孝の実践を求め、「近江聖人」と称されたのは中江藤樹です。

③:孔子の教えを直接学ぶことを説き、『聖教要録』を著したのは、「ポイントのまとめ」にもあるとおり、山鹿素行です。

④:『論語』『孟子』の原典に立ち返るべきとし、真実無偽の心として誠の重要性を主張したのは、「ポイントのまとめ」にもあるとおり、伊藤仁斎です。

問5 資料文に「古聖人の書を文面のままに解したる物にてはこれ無く」「その見識にて経書を捌き申されたる物」とあることから、荻生徂徠が、朱子学は忠実に経書を読んでおらず、恣意的な解釈をしているとみなしていることがわかります。

さらに、資料文の末尾近くで「人柄悪しく成り」とあることから、朱子学で偏狭な人間になると荻生徂徠が考えていたことも読み取れます。以上より、②が正しいといえます。

ちなみに、①は「古代の語義を尊重しつつ」という部分(忠実に経書を読んでいない)、③は「経書の真意と自分の考えとを比較しながら」という部分(比較しているのではなく自分の見識で解釈している)が間違っています。

そして。④については、「是非善悪の区別を無視し、自分勝手に振る舞う性向を助長する」という部分が間違っています。資料文には、「(朱子学の経書解釈に凝り固まった)人は、是非邪正の差別つよく成り行き」とありますから、むしろその是非善悪の区別がいきすぎてしまうことが懸念されています。

ポイントのまとめ

・古学派とは何か

江戸時代には儒教を学ぶ学問(儒学)のうち朱子学とよばれる学問がさかんだった。
しかし、朱子学ではなく、孔子や孟子の原典に立ち返り、儒教本来の教えを探究しようとする考えが出てきた。この考えが古学派である。

・山鹿素行の思想

山鹿素行は主著である『聖教要録』で朱子学を抽象的であると批判した。
(孔子などの教えをさまざまに解釈してどんどん抽象的な方向へ向かっているので、直接原典にあたるべきとした=古学派のはじまり

儒学の立場から、当時存在していた武士道を批判した。
戦乱のない平和な時代においては、武士は三民の師(農・工・商の身分の人にとって道徳的モデルとなる人格者)となるべきという士道を提唱した

※輪島藩士の山本常朝『葉隠』という著書の中で、「武士道といふは死ぬことと見付けたり」と述べて、武士道とは何かを説き、士道を批判しました。

・伊藤仁斎の思想

伊藤仁斎は、朱子学に頼らず、『孔子』『孟子』を直接熟読してその本来の意味を探究しようとする古義学を開いた。(朱子学は後世の人の解釈にすぎないとみなした)
著書に『童子問』『論語古義』などがある。

『童子問』にて、伊藤仁斎は、孔子の教えの核心はにあり、その本質はであるとした。
また、自分と他者が互いに愛しあうこと(仁愛)の重要性を説いた。
それを示した一節:「われよく人を愛すれば、人またわれを愛す

その仁愛を支えるものが、自分や他者に対して偽りのない純粋な心(=真実無偽の心)であるだとした。
それを示した一節:「誠ならざれば仁、仁にあらず」

その誠を日常生活の中で実現するためには、自分を偽らないというと、他人をだまさないというが重要だとした。

・荻生徂徠の思想

荻生徂徠は、孔子自身が学んだ『六経』(堯・舜・禹など古代中国の帝王の統治方法などを記した書物)を当時の中国語で直接読んでその真意を探究しようとする古文辞学を開いた。
著書に『弁道』や『政談』などがある。

朱子学では、堯・舜・禹は人格が立派だったので天下を安泰にできたとしていたが、荻生徂徠は、堯・舜・禹は現実に即した法律や礼儀作法をつくったから天下を安泰にできたと主張した。
そのため、為政者は、先王の道、つまり堯・舜・禹などが天下を安泰にする(安天下)ために制定した法律や制度を学ぶべきと考えた。

先王の道とは、具体的には、儀式・音楽・刑罰・政治などの諸制度(礼楽刑政)のことであり、この道にしたがえば自然に経世済民、つまり世を治め民衆を救うことができるとした。

このような荻生徂徠の政治から道徳を切り離した点は、思想史における大きな業績である。