この問題でおさえておきたいこと
高度経済成長の前半期、後半期それぞれにおける好景気の要因や背景、終わった理由を理解しよう!
解答
問1
A …経済白書(年次経済報告)
B …岩戸
C …ペティ・クラーク
問2
1
問3
4
問4
3
問5(例)
円高になると、日本製品の外貨建の価格が上昇して他の輸出国との競争力が低下する一方、外国の用地について円建の価格が低下する。これにより、日本から輸出するより現地で生産する方が企業にとって有利となるため。(100字)
解説
問1
A 経済白書(年次経済報告)に書き記されたほかの有名なフレーズとして、1960年から1961年にかけて発表された『投資が投資を呼ぶ』というものがあります。なお、現在は経済財政白書(年次経済財政報告)となっています。
B 神武景気・岩戸景気・オリンピック景気・いざなぎ景気・列島改造ブームの順に好景気が訪れました。
C 経済発展が進むと、第一次産業の経済に占める比重が小さくなり、第二次・第三次産業の比重が高まるようになります。これを産業構造の高度化といいます。あるいは、これの発見者の名前にちなんでペティ・クラークの法則とよびます。
問2
1:「ポイントのまとめ」にもありますが、高度経済成長期には実質経済成長率は年平均10%ほどになっていました。当時はインフレ基調であったため、名目経済成長率は10%をこえていました。よって、この文は正しくありません。
2:「ポイントのまとめ」のとおり、GNPはアメリカに次いで資本主義国のなかで第2位でしたが、「一人あたり」GNPとなると西ドイツを下回っていました。
3:この文の内容は正しいです。GATTの加盟が1955年,IMFの加盟が1952年,国連の加盟が1956年であることも難関大学の入試レベルであればおさえておきたい点です。
4:「ポイントのまとめ」にあるとおり、この文の内容は正しいです。
問3
「ポイントのまとめ」を参照してください
問4
1:第一次オイルショック後に省エネルギー化を進めたため、日本の経済的混乱は第二次オイルショックのときは第一次オイルショックのときと比べると小さくすみました。よって、この文の内容は正しいです。
2:「ポイントのまとめ」のとおり、オイルショックが原因で1973年に日本経済はマイナス成長となりました。それだけでなく、狂乱物価とよばれる激しいインフレーションにも見舞われました。このように、不景気とインフレーション(物価上昇)が同時に発生することをスタグフレーションといいます。
3:第二次オイルショックはイラン革命が契機で起こりました。第四次中東戦争が契機となって起こったのは第一次オイルショックです。よって、この文は正しくありません。
4:第一次オイルショックにより、1ドル260円から1ドル300円へと円安が進みました。よって、この文の内容は正しいです。
問5
企業が生産拠点を海外に移すということは、輸出をするデメリットがあるからか、生産拠点を海外に移すメリットがあるからかのどちらかがあるということです。このことについて、1ドル200円(㋐)から1ドル100円(㋑)へと円高が進んだという例を使って考えてみましょう。
輸出をするデメリットについては、たとえば1万円の日本製品を輸出することを考えましょう。㋐のときは50ドルの支払いでよいのですが、㋑のときは100ドルの支払いをしなければなりません。
こうなってしまうと、外国側の立場からすると割高となってしまい、購入する意欲が後退します。あるいは他の輸出国の製品のほうが安いとなってしまうとそちらのほうを購入されるようになってしまうこともあります。日本にとって競争力が減ることになってしまい、輸出をするのが不利になってしまいます。
一方、生産拠点を海外に移すメリットについては、たとえば1m2が100ドルの工業用地があるとしましょう。㋐のときはその用地1m2を2万円で購入できますが、㋑のときは1m2を1万円だけで購入できるようになります。
日本企業にとっては海外の用地を割安の値段で購入できるようになり、より多くの用地を購入したり、設備を充実させたりすることが可能になります。そうすると、わざわざ不利な輸出をするよりも、海外で生産をしてその国でそのまま販売するほうが企業にとっては有利となります。
このように、日本企業にとっての輸出における不利な点と生産拠点を海外に移すことで有利になる点という2つの側面から説明していくとよいでしょう。
解答のチェックポイント
- 円高が日本企業にとって輸出を不利にさせることにふれているか
- 輸出が不利になる理由として、日本製品の値段を海外の通貨に換算すると割高になってしまうことにふれているか
- 日本企業にとって円高になると海外進出や海外への設備投資が有利になることにふれているか
- 海外進出や海外への設備投資が有利になる理由として、海外でのそれに関する価格を日本円に換算すると割安になることにふれているか
ポイントのまとめ
・高度経済成長期とは何か
1950年代後半からおよそ20年間にわたり、日本は実質経済成長率が年平均10%をこえる成長をとげた。この時期の、飛躍的に経済規模が拡大した時期を高度経済成長期という。
その経済成長はすさまじく、1956年の経済白書(年次経済報告)には「もはや戦後ではない」と書かれ、1968年にはGNPがアメリカに次いで資本主義国のなかで第2位となるまでであった。
・高度経済成長期前半
神武景気,岩戸景気は石油化学コンビナート建設など民間設備投資の拡大、オリンピック景気は公共事業の拡大が要因ではじまった。
これにより輸入は増加したが、まだ日本の輸出力は弱いために、外貨準備が減少していった。外貨がなくては輸入もできなくなるので、政府は景気引き締め政策をとった。(国際収支の天井)
その他、この時期には三種の神器(洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビ)が普及していった。
・高度経済成長期後半
いざなぎ景気は公共投資の拡大と外需(輸出)の増加が要因である。
このころでは輸出における日本の国際競争力が高まっており、貿易収支は黒字になり、国際収支の天井も解決していた。
1973年に第四次中東戦争が原因でオイルショックが起こったことにより、日本経済はマイナス成長に陥り、高度経済成長が終わった。
その他、この時期には3C(エアコン・自動車・カラーテレビ)が普及していった。
・高度経済成長の要因
- アメリカから新しい技術を採り入れるなど技術革新をおこなった
- 設備投資を活発におこなった
- 国民の高い貯蓄率を背景に間接金融を通じて企業の資金需要をまかなった
- 農村から質の高い労働力が豊富に供給された
- 池田勇人内閣の所得倍増計画のように、政府が産業優先政策をとった
生活関連社会資本よりも産業関連社会資本を優先整備、租税面での企業優遇 - 1ドル360円の為替レートが輸出をするうえで日本に有利だった
・貿易・為替・資本の自由化
高度経済成長期の1960年代から貿易・為替・資本の自由化が進んだ。
1963年
GATT(関税および貿易に関する一般協定)12条国から11条国に変更
これにより、国際収支の悪化を理由に貿易の制限は不可能に
1964年
IMF(国際通貨基金)14条国から8条国に変更
これにより、国際収支の悪化を理由に為替の制限は不可能になり、資金移動の自由化や企業進出の自由化が達成
1964年
先進国クラブといわれるOECD(経済協力開発機構)に加盟
(アジアの国では初のこと)
1967年
資本の自由化スタート
外国資本家からの企業買収を避けるために企業の株式持ち合いが進む