この問題でおさえておきたいこと
実存主義とは何か、そしてその思想家であるキルケゴール、ニーチェ、ヤスパース、ハイデガー、サルトルの思想の内容を確認しよう!
解答
(1)(例)
個別的・具体的な存在である実存としての自分のありかたを求める思想が実存主義である。その先駆者であるキルケゴールは、神の前に単独者として向き合い、主体的真理を見いだす重要性を説いた。ヤスパースは、死や苦悩といった限界状況にぶつかることで自己の有限性を自覚し、超越者に触れることで実存に目覚めるとしたが、真の実存の確立には他者との交わりが必要だとした。神など絶対者との関わりで実存を考察した彼らに対し、ハイデガーは、人間は本来、様々な事物や他者との関わりのなかで存在する世界内存在だが、社会に埋没してしまっており、自分が引き受けるしかない死への存在だという自覚をもつことで本来の自己を取り戻せると考えた。(300字)
(2)(例)
事物はあらかじめ本質が決まっている一方、人間はこの世に生まれてから、自分の自由な選択によって自己を形成する。そのようにして自己を形成していくものだから、自分の選択にともなう責任を負わなければならない。(100字)
解説
(1)実存主義とはどういう思想なのかということと、[語群]から判断してキルケゴール、ヤスパース、ハイデガーの思想はどういう思想なのかということを説明すればよいと判断できます。ただし、単に3人の思想の説明を羅列するのではなく、3人の思想の似ている点や違った点にも簡単にふれるほうがよいでしょう。
3人とも自分のありかたを求めたという点では共通していますが、キルケゴールとヤスパースは絶対者との関わりのうえで実存を考察したのに対し、ハイデガーはあくまで人間としての立場から実存を求めたという違いがあります。このことを簡単に説明に入れるとよいでしょう。
ほかにも、ヤスパースとハイデガーは実存に目覚めるうえで死との関連があることに着目したのに対し、キルケゴールはそうではないという違いもあります。こちらのほうにふれた解答でもよいでしょう。
解答のチェックポイント
- 実存主義はどういう思想なのかを説明しているか
- 「主体的真理」という用語を使いながらキルケゴールの思想を説明しているか
- キルケゴールは単独者として神と向き合う必要性を説いたことを説明しているか
- 「限界状況」という用語を使いながらヤスパースの思想を説明しているか
- ヤスパースは実存を手に入れるには超越者と触れることと他者との交わりが必要だと説いたことを説明しているか
- 「世界内存在」という用語を使いながらハイデガーの思想を説明しているか
- ハイデガーは死への存在という自覚をもつ必要性を説いたことを説明しているか
- 「キルケゴールとヤスパースは絶対者との関わりのうえで実存を考察したが、ハイデガーはそうではない」「ヤスパースとハイデガーは死との関連で実存を考察したが、キルケゴールはそうではない」など、3人の思想の相違点に触れた説明となっているか
(2)「実存が本質に先立つ」とはどういうことなのか、「みずからあるところのものにたいして責任がある」とは誰がどういう責任を負うのか、これらを「ポイントのまとめ」にあるサルトルの思想の説明を使ってまとめていくとよい解答になるでしょう。
解答のチェックポイント
- 人間はまずこの世に生まれてから、自由な選択をしながら新しい自己を形成していくことを説明しているか
- 自分の選択によって決めた自分の人生は、自分に責任があるということを説明しているか
ポイントのまとめ
・実存主義とは
19世紀のヨーロッパで誕生した思想
今ここにある個々の人間のありかた・現実存在(=実存)としての自分のありかたを求める思想が実存主義
科学技術の進歩・資本主義の発展による社会の巨大化・組織化によって、人々は画一化・平均化し、主体性が失われているとした
そのかけがえのない主体性を回復し、真実の自己を見つけだすにはどうすればよいかを考えた
・実存主義の主な思想家
1.キルケゴール
主な著書:『あれか、これか』、『死に至る病』
客観的真理・普遍的真理の重要性を主張するヘーゲルを批判
主体的真理、つまり「私にとって真理であるような真理」「そのために生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)」を発見することが重要とした
人間の真実の生き方の過程として実存の三段階を述べる
感覚的享楽で満たす生き方である美的実存
↓倦怠感・虚無感にさいなまれ絶望
自己の良心に従い倫理的に生きる倫理的実存
↓自己の無力・有限性に気づいて絶望
ただひとりの単独者として神の前に立ち、信仰する宗教的実存
※宗教的実存において絶対者としての神と結びついたとき、真の主体性が実現されるとキルケゴールは考えました。よって、宗教的実存の段階に達することが理想だと考えたわけです。
2.ニーチェ
主な著書:『ツァラトゥストラはこう語った』、『力への意志』
キリスト教道徳は、弱者を甘やかし、強者へのルサンチマン(怨恨)に満ちた奴隷道徳だとみなし、人間が本来持っている価値を埋没させたとして「神は死んだ」と批判
無意味なことが永遠に繰り返される永劫回帰の世界で、力への意志(己をより高め、たくましく生きようとする意志)を持ち、新たな価値を創造しようとする超人を目標にすべきと説いた
超人は永劫回帰の世界も「これが人生か、ならばもう一度」と受け入れて生きる(この心理を能動的ニヒリズム)ことができるとし、この姿を運命愛と呼んだ
3.ヤスパース
主な著書:『哲学』、『理性と実存』
人間は、死・苦・戦いなどのような人間や科学の力でもどうすることもできない状況(限界状況)に直面して自己の有限性を認識したとき、包括者(超越者)(=神)の存在を感じ、実存に目覚めるとした
本当の実存を確立するためには、他者との「愛しながらの戦い」としての実存的交わり、つまり全人格的な交流が必要と考えた
4.ハイデガー
主な著書:『存在と時間』、『ヒューマニズムについて』
人間は「存在とは何か」を考えることができる存在(=現存在)であるが、すでに自分が存在している世界に投げ出されていて(=被投性)、その世界で様々な事物や他者との関わりのなかで存在している世界内存在であると説いた
世界内存在としての人間は、他者への気遣いや配慮の中に生きるので、世の中に埋没した没個性的なひと(ダス・マン)となってしまう
人間は本来、「死への存在」(つまり、いつかは必ず死ぬ、本来的に死へと投げ出されている)であることを自覚することによって、本来の自己の生き方である実存に達すると説いた
5.サルトル
主な著書:『存在と無』、『嘔吐』
人間はまずこの世に生まれて存在し、そのあとで、将来を選ぶ自由のもと、新しい自己を形成していくという投企的存在なので、「実存は本質に先立つ」と説いた
一方、自分の自由な意志によって自分の人生を決められるが、その責任はすべて自分にあり、自由にともなう責任からまぬがれることはできないので、「人間は自由の刑に処せられている」と説いた
自分の自由な選択によって他者や社会にも影響を与えるので、自分の選択は社会全体に対しても責任を負う。自分の選択で1つの状況に自分を拘束し、人類全体に1つの人間像を示すことは社会を新しく作り変えていくことになる。だから社会と広く関わるアンガージュマン(社会参加)の大切さを訴えた。