この問題でおさえておきたいこと
農村から都市へ、途上国から先進国へ、旧植民地から旧宗主国へが人口移動の主流!
日本国内ではドーナツ化現象→都心回帰という流れに!
解答
問1 ① 問2 ③
問3 ② 問4 ③
解説
問1 ①:地図を見ると、移住先の国籍を有する者が多い主な国はイギリスや、カナダ、アメリカ合衆国、南アフリカ共和国、マレーシア、シンガポール、スリランカなどの旧イギリス植民地で英語が公用語の国だとわかります。よって、この文は正しいです。
②:地図ではラテンアメリカにインド系住民があまり多くないからという理由で誤りとすることもできますが、東南アジアやラテンアメリカには観光業ではなく農業の労働力としての移住者が多いので、この点で誤りとすることができます。
③:「ポイントのまとめ」にあるとおり、土木・建築関係の労働者としての移住者が多いです。西アジアの油田開発は、主にメジャーを中心とする先進国の資本と技術を投入して行われました。
④:インドでは情報通信技術産業が成長し、「ポイントのまとめ」にあるとおり、アメリカ合衆国などの先進国に移住する技術者までいるほどです。先進国から帰国し、本国で創業するという人も増えてきています。
問2 シは1965~1970年に人口が減少しているのに2005~2010年になると人口が増加しているので、ドーナツ化現象で郊外への人口移動に見舞われたが、その後の都心回帰で人口の流入がみられている都心部だと考えられます。よって、Aと判断できます。
一方のスは1965~1970年に人口が大幅に増えているので、高度経済成長期のドーナツ化現象で人口が増えた郊外をあらわしていると考えられるため、Cとわかります。
よって、残ったサがBをあらわしているといえます。サは1925~1930年に人口が非常に増えていますが、Bの一部地域が1925年の人口密集地と重なっていることとも整合性がとれています(ほかにも、関東大震災で被災した住民の流入があったことも背景にあったと考えられます)。
問3 ③は旧スペイン領である南アメリカのエクアドルやコロンビア出身者が多く、④は旧フランス領である北アフリカの3か国の出身者が多いです。「ポイントのまとめ」にもあった、旧植民地から旧宗主国への移動であるという根拠で、③はスペイン、④はフランスと判断できます。
残りの①と②について比べると、どちらも旧東側諸国が上位に入っていますが、国籍を新たに取得した人数は②のほうが圧倒的に多くなっています。人口移動は経済的に豊かな国や都市への移動が主流なので、人をひきつける経済力の差を考えると、イタリアが②で、ギリシャが①といえます。
あるいは、①はアルバニア出身者が突出しているので、地続きに隣り合っているギリシャ、②はアドリア海をはさんだ隣国のアルバニアと同じラテン系民族の国であるルーマニアの出身者が多いからイタリアと判断してもいいでしょう。
問4 「ポイントのまとめ」にあるとおり、明治以降にブラジルに移住した日本人は農業開拓の労働力として移住したのであり、工業技術者としてではありません。よって、適当でないものは③です。
ちなみに、④に関連して、日系ブラジル人労働者は愛知県・静岡県・群馬県など中部地方や関東地方北部の県に多いです。これらの県には輸送用機械・電気機械の工場があるためです。
ポイントのまとめ
・人口移動の理由
1.経済的理由
雇用の機会や高所得を求めての移動
農村から都市へ、途上国から先進国へ、旧植民地から旧宗主国への移動はこれが理由である
2.宗教的理由
信教の自由を求めての移動
イスラエル建国によりユダヤ人が移動してきたシオニズム運動はこれが理由である
3.政治的理由
差別や迫害、内戦や対外戦争などによって居住地を逃れたり強制的に追われた難民の移動
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が援助を進めている
4.その他
西漸運動(アメリカ)、屯田兵による北海道の開拓(日本)など国内の開発による移動
インドネシアのトランスミグラシ政策(人口の多いジャワ島からほかの島への移住を促進)など政策による移動
・おもな民族の移動
ヨーロッパ人 |
16世紀からスペイン人やポルトガル人がラテンアメリカに、イギリス人がアングロアメリカに入植 |
黒人 |
16~19世紀に奴隷としてアフリカから南北アメリカにわたる |
華僑 |
東南アジアを中心とした世界各地に移住し、商業や金融で活躍 |
インド人 |
東南アジアや旧イギリス領に労働力として移住(インドもイギリスの植民地であったため) |
日本人 |
明治~昭和初期にブラジル,ペルー,ハワイ,カリフォルニアなどに農業開拓の労働力として移住 |
・第二次世界大戦後の人口移動の特徴
1970年代 |
ドイツやフランスで高度経済成長により労働力が不足 アメリカは移民法の改正により、メキシコやカリブ海諸国からのヒスパニック(スペイン語を母語としているけどもアメリカに居住している人々)の流入が増加 |
1980年代 |
石油危機による石油価格の高騰でアラブ首長国連邦などペルシア湾岸の産油国で経済が発展、インフラ整備や高層ビル建設などにより土木・建設関係の労働力が不足 オーストラリアが白豪主義から多文化主義政策へと転換、アジアからの移民が増加 |
1990年代 |
日本で貿易摩擦や円高、国内労働者の賃金上昇により、製造業の国際競争力が低下 |
2000年代 |
EUの東方拡大により、東欧から西欧へ労働力人口の移動が起こる 日本では技能実習制度や「留学生30万人計画」により、とくにベトナムやネパールからの流入が増える |
・日本国内の人口移動
1955年ごろからの高度経済成長初期より、地方圏から東京・大阪・名古屋などの大都市圏への若年層を中心とした人口移動が活発化
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1960年代には、人口が集中しすぎたために都心の生活環境が悪化
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都心の人口が減少し、郊外の人口が増加するというドーナツ化現象が起こる
東京圏では神奈川県・埼玉県・千葉県の人口増加率が東京都の人口増加率を上回る
大阪圏では奈良県・滋賀県の人口増加率が大阪府の人口増加率を上回る
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1970年代の石油危機をむかえて経済が低成長になると、Uターン現象(地方から都市部へ移住した人が再び自分の育った地方に戻る)やJターン現象(地方から大都市へ移住した人が自分の生まれ故郷の近くにある比較的規模の大きい都市に移住する)が多くなる
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1990年代のバブル経済崩壊で地価が下落し、都心部や臨海地域(ウォーターフロント)の再開発が進み、都心部の人口増加率が上昇(=人口の都心回帰)