この問題でおさえたいこと
平安時代の政治は、平安京に都を移して桓武天皇が政治→藤原氏による摂関政治→院政→平清盛による政治→壇ノ浦の戦いで平氏滅亡という流れ!
解答
問1 エ
問2 (例)地方の政治は、都から派遣されて国を治める国司にほとんど任されるようになった。
問3 イ
問4 イ
解説
問1 かなりの難問だと思われます。アに書かれた『古今和歌集』が生まれたのは905年なので10世紀のこととなります。イにある宋の成立は960年,ウにある高麗の統一は918年なのでどちらも10世紀のことです。よって、エが正解となります。ちなみに、エにある平等院鳳凰堂は1052年に完成しました。
問2 平安時代に公地公民が完全にくずれると、中央政府の監督のもと地方の政治をするはずだった国司の役割は変化し、一定額の税を中央に送るにすぎないぐらいになりました。中央に送って残った税は自分のものにできるようになり、地方の政治は国司に任されるようになりました。
こうして、自分の利益だけを考える国司が増えていき、地方の政治が乱れることとなりました。それにより、地方では自分の土地を守るために武装した武士が台頭することとなります。
解答について、地方の政治については中央の手から離れたという内容が焦点になります。ただ、「国司」という言葉を使わないといけませんから、中央の手から離れたということよりも、その政治の担い手が国司になったということを述べているかどうかがチェックポイントとなります。
問3 蝦夷は東北地方に存在しましたので、桓武天皇が派遣した先は東北地方です。九州南部に存在していたのは隼人でしたが、隼人は奈良時代には朝廷に服属していました。
問4 アは1086年、イは1016年、ウは1167年、エは935年のできごとです。エのできごとのみ、年号を覚えていないと難しいですが、ほかの3つのできごとが起こった順序は正しく判断できておきたいところです。判断できなかった場合は「ポイントのまとめ」に整理されたものを確認するようにしましょう。
ポイントのまとめ
・平安時代においての貴族による政治
794年 桓武天皇が平安京に都を移す
坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方に軍隊を送り、蝦夷を服属させた
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894年 菅原道真が遣唐使を廃止
その後、菅原道真は藤原氏との権力争いに敗れる
↓
藤原氏による摂関政治
自分の娘と天皇を結婚させ、天皇を補佐する役である摂政や関白などに就き、政治をおこなう
11世紀の藤原道長や、その子の藤原頼通のときが全盛期
↓
1086年 白河天皇が天皇の位をゆずり、上皇として政治を動かす(院政)
白河上皇が天皇家や政治全体を管理するようになったため、これにより藤原氏の影響力は完全になくなる
・武士による政治への移行
地方の政治が乱れていくと、それぞれの地方の豪族などは、自分の土地を守るために武装するようになる(=武士の誕生)
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地方の武士が反乱を起こす
例:関東地方で平将門の乱(935年)、西国(瀬戸内海周辺)で藤原純友の乱(939年)
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武士によって鎮圧がされる→武士の力がますます強まる
とくに東国で源氏、西国で平氏が勢力を強めていく
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1156年 保元の乱
1159年 平治の乱
この2つの戦いに勝利した平清盛は太政大臣に任命され、政治の実権をにぎった
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平氏に対する不満が高まり、源氏が兵をあげる
1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡
源氏が政治の実権をにぎり、鎌倉時代へと入る