この問題でおさえたいこと
日清戦争や日露戦争の原因とその結果、結ばれた条約をきちんとおさえよう!
解答
①…1895
②…下関
③…遼東(カタカナ表記でもOK)
(問1)甲午農民戦争(東学党の乱でもOK)
(問2)ドイツ・フランス
(問3)ア
(問4)エ
(問5)イ
解説
(問3)これはハイレベルな問題だったことでしょう。まず韓国の外交を指揮する統監府がおかれました。しかし、1907年にハーグ密使事件(韓国皇帝がハーグの万博平和会議に密使を送り、世界に助けを求めたが無視された事件)が起こると、日本は韓国の内政権を握るようになります。外交だけでなく、いよいよ内政もという流れですね。
韓国内の民衆の不満は高まり、1909年に伊藤博文が暗殺されると、それを機に一気に併合へと向かいます。1910年に韓国併合がされると、統監府も名前を朝鮮総督府に変えました。よって、順番はイ→ア→エ→ウとなります。
(問4)「ポイントのまとめ」にあるとおり、エのみポーツマス条約の内容です。
(問5)地名が出てきたら、それがどこにあるかを教科書や地図帳で確認するようにしましょう。ちなみに、アは朝鮮半島、ウは山東半島、エは台湾です。
ポイントのまとめ
朝鮮で甲午農民戦争(東学党の乱)という反乱が発生、日本と清が朝鮮に出兵
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1894年 日清戦争が始まる
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1895年 日本の勝利、下関条約を結ぶ
条約の内容
- 当時、清の属国であった朝鮮の独立を認める
- 台湾・遼東半島・澎湖諸島を日本の領土とする
- 賠償金として日本に約3億両を支払う
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ロシア・ドイツ・フランスが遼東半島を清に返すよう圧力=三国干渉
→日本は清に遼東半島を返還
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1900年 清で義和団事件(義和団という宗教団体が欧米の勢力をしりぞけようとした暴動)発生、欧米列強が出兵
事件後もロシアは満州に軍を駐留(朝鮮支配をもくろんだため)
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朝鮮支配をめぐり、日本とロシアが対立
ロシアへの対抗のため、日本は1902年にイギリスと日英同盟をむすぶ
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1904年 日露戦争が始まる
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1905年 両国とも戦争継続が困難になり、ポーツマス条約を結ぶ(アメリカが仲立ち)
※当時の日本の全権大使は小村寿太郎であることもおさえましょう。
条約の内容
- ロシアは韓国における日本の優越権を認める(=ロシアは韓国に侵略してはいけない)
- 樺太の北緯50度以南を日本の領土とする
- 旅順・大連の租借権を日本に渡す
- 沿海州やカムチャッカ半島沿岸の日本の漁業権を認める
※ロシアは戦争に負けていないので賠償金は払う必要がないと主張し、日本も講和を急いだため、賠償金はとりませんでした。これが民衆の不満を買い、日比谷焼き討ち事件を引き起こしました。
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韓国に対する支配をどんどん進める
1910年 韓国併合