この問題でおさえておきたいこと
開国してから結んだ2つの条約の内容をしっかりおさえよう!
開国してから攘夷をやめるまでの過程もおさえよう!
解答
(1)あ ペリー い 浦賀
(2)下田・函館
(3)井伊直弼
(4) イ (5) D
(6)ア 治外法権(領事裁判権) イ 関税自主権
(7)安政の大獄
(8)(例)天皇をうやまい、外国の勢力を追い出そうとする人々のこと。
(9)生麦事件
解説
(4)日米修好通商条約を結んだ際の、日本とアメリカの代表は、井伊直弼とハリスです。この2人をセットで覚えるようにしましょう。
ちなみに、ほかの選択肢の人たちですが、
ラクスマン … 1792年に根室に来航して、日本に開国を求めたロシア人
レザノフ … ラクスマンの後に日本にやって来て、開国を求めてきたロシア人
シーボルト … 長崎にて医学を教えたオランダ人。国外持ち出し禁止の日本地図を入手したため、国外追放されました。
(5)地図上のそれぞれの港は、
A…函館 B…新潟 C…神奈川
D…下田 E…兵庫 F…長崎
です。
下田だけは、日米和親条約で開かれた港です。それぞれの港の名前だけでなく、地図上でどこの位置になるのかもおさえておきましょう。
(8)「尊王」は、字に書いてあるとおり、王(=天皇)を尊ぶ(うやまう)ことを意味します。
「攘夷」の「攘」は「はらう」という意味、「夷」はここでは、外国人を指しています。つまり、「外国人を追い払う」ということを示した言葉となります。
なので、「天皇をうやまう」「外国人を追い払う」という2つの点をおさえた解答ならば、正解となります。
ポイントのまとめ
1853年 ペリーが浦賀(神奈川県)に来航→開国をせまる
↓
1854年 日米和親条約を結ぶ
内容:
下田(静岡県)・函館(北海道)の開港
=鎖国の終わり
↓
1858年 日米修好通商条約を結ぶ(日本代表:井伊直弼 アメリカ代表:ハリス)
内容:
・函館・新潟・神奈川・兵庫・長崎の開港
・治外法権(領事裁判権)を認める
=外国人が日本国内で犯罪を犯しても、日本で裁判ができない
・関税自主権がない
=関税を自分で決められないので、輸入品がたくさん入ってきて、国内産業が不利に
※開港する港が増えたこと、日本にとって不利な点をおさえましょう。
↓
貿易がさかんになったが、生産が追い付かなくなり、国内は品不足に
↓
尊王攘夷派の反感が高まる
↓
2つの失敗
- 井伊直弼による尊王攘夷派の弾圧の失敗
経過:
安政の大獄(尊王攘夷派の吉田松陰などを処刑)
↓
1860年 井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変) - 攘夷の失敗(外国勢力の追い払いの失敗)
例:
1.薩摩藩の場合
生麦事件(大名行列に無礼なことをしたとして、イギリス人を殺傷)
↓
薩英戦争により、イギリス艦隊から報復を受ける
↓
講和を結び、攘夷をとりやめ
2.長州藩の場合
下関事件(下関を通過するアメリカ、フランス、オランダの艦隊を砲撃)
↓
イギリス、フランス、アメリカ、オランダの連合艦隊が下関砲台を占領
↓
開国を主張し、倒幕に傾く